2007年 02月 24日
演劇、観劇、感激でも |
日常の些事、煩悩に追われて生活していると、時に高尚かつアカデミックな自分本来の姿を取り戻したい(勉学はどうしたという話は抜きに…)と思うこともありまして、本日は演劇鑑賞などをしてまいりました。
見てきたのは、東京外語大学ウルドゥー語劇団によるウルドゥー語劇「Hiroshima ki Kahani(ヒロシマ物語)」と、大阪外語大学ヒンディー語劇団によるヒンディー語劇「Ek Yamdoot ki Kahani(死神物語)」。
大学で両言語を学ぶ学生たちが、現地を訪れ、現地の人たちの前で、現地の言葉で芝居を披露するという、要するに語学習得の枠を超えて日本とインド亜大陸とのガチンコ文化交流の最前線にたちましょう、という取り組み。
まとわりつくインド人すべてをインチキ野郎、詐欺師呼ばわりは当たり前、まるで「悪の権化」のように目の敵にしていた10年前のわたし(彼ら彼女らと同じ当時23歳)に、学生たちの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたくなるような敬服企画でございます。
活動の先駆けになった大阪外大の公演は1997年にスタート、本日で75回目になるというから継続は力なり。すでに伝統になりつつあるみたい。
パキスタンの公用語であるウルドゥー語劇の方は当然かの国でも公演されており、北西部住民やムスリムたちに話者が多いインドでも2005年夏に大阪外大との合同公演という形で初披露されたのだとか。
今回再びこの亜大陸に両劇団が降り立ったのはやはり「Indo Japan Friendship Year(日印友好年)」のなせる技。
「若者」というキーワードからまず連想できるのは希望や未来といった明るいイメージ。
まだまだメジャーとは言い切れない日印関係、彼女彼らを差しおいてそんな両国の明るい未来を象徴できるような存在などほかにいるはずもなく、当然友好年には欠くべからざる貴重な存在、いわゆる日本側の切り札でしょう。
語学というわたしとは全く対照的、というかもっとも正攻法なアプローチで両国の架け橋になろうと張り切る若者たちの姿、早々に気合いを充てんしなきゃいけないわたしにカツを入れてくれればこれ幸い、とデリー中心部にある「National school of Drama(国立演劇学校?)」に向かったわけです。
さてさて、実際の劇はだったのか。
ヒロシマ物語の方は「はだしのゲン」といった方が日本人には通じやすいでしょう。
ウルドゥーだろうがヒンディーだろうが知識0%以上1%未満のわたしですから、話の流れはすべて小学生時代にあった学級文庫の記憶をたぐり寄せながらの観劇。
国家統制が厳しくなる戦中期から、原子爆弾の投下、家族との別れ、そして原爆症での影響ではげ頭になったゲンの頭に毛が生えてくるところまで。
やっぱ興味をひくのは、核保有国インド、毎月のようにテロリストによる大量虐殺が起こり続けるこの国の人たちに非核、反戦、平和のメッセージをどう伝えるのか
ということなんだけど、劇の最終部分あたりで語られたメッセージ性のありそうなせりふたち、まるで分からず。ただ、劇終了後も拍手は最後まで鳴りやまなかったんで、観客の心に響く部分はあったんだと思う。
この劇の特徴をもう一つあげるとすれば、直接登場人物とは関係ない役者たちも舞台上で抽象的な動きをしたりして視覚的な幅を広げるなど、日本の演劇技術や文化までを紹介しているのかな、という印象。
よく考えればナマの劇を見るのなんて大学時代、演劇やってる同級生からつきあいでチケットを買って以来だし、あとは仕事関係でプロ劇団の練習風景をナナメ見した程度だから詳しくは何も書けないんだけど、何となくそんときと同じにおいを感じましたな。
あと全く私的だけど、ゲンが時にかいま見せる一線を越えたアホさ加減が懐かしく思われました。
でもって、もうひとつのヒンディー語劇「Ek Yamdoot ki Kahani(死神物語)」。
事前にインド隊長アルカカットさんから「笑いを狙った作品」だということを聞いてたこともあって、ぜひ言葉のやりとりを含めて理解したいなぁ、と思っていたところありがたいことにこちらは日本語字幕付き。
本来は人間にとりついて死の世界に誘うべき死神(Yamdoot)が、その掟に背いてまでも、自殺願望のある若者を諭して生きる希望を取り戻させる
という内容。
見てるだけで笑えるようなリアクション芸というよりも、たぶん社会風刺の斬り方(角度)がインドっぽかったのかな。
確かに笑いはコンスタントに起きてたんだけど、そこまでわたしには響かないあたりがやはり翻訳文を通じた限界なんだろうかねぇ。
でも、それにもましてわたしが感服、恐れ入ったのは一時間近くしゃべりっぱなしの死神さんたちの演技。
「発音もほぼ完璧ですよ」
とインド師匠もお墨付きの登場人物4人(一人は先生だから当然だけど)。
あんたら、いったいどんな記憶力してんの、どれくらい練習積んできたの
って思うくらいのしゃべりっぱなしなのよね。
英語だろうが中国語だろうが、わたしにだって一つ一つのせりふは翻訳はできるかもしれないけど、あれだけの量のせりふ、ぜったいに覚えられません。
それだけ、インドの人たちに何かを伝えたいという若者たちのモチベーションが高いことを認識させられたわけで、とにかくなまりきったわたしの性根に十分刺激を与えてくれた計3時間なのでした。
ところで、今回の演劇鑑賞にはおまけとしてさらなる私的余興もございまして、
隠れたテーマその1:
今回の同行者はチャンドラバーガーズではなくズーヤン。
わたしとズーヤンといえば、まだ記憶に新しい2月3日。仲良くバイク2人乗りのツーリング中、一緒になって暴走バスの勢いにやられた間柄だけど、それ以来彼女を後ろに乗せて運転する機会はなく、数えてみれば20日ぶりのご同行。
会場までは約30分、往復1時間。
こりゃぁまたとない機会だと、あえてジーンズから手袋、パンツ、Tシャツ、靴下にいたるまで、当時の衣装そのままを再現してみたわたし。
つまりは自分の運気向上を確認するための「厄払いのツーリング」ですな。
ここで何事もなけりゃ、雪崩式バッドラック状態から脱出できたってことだし、もしなんかあったらあとはもう「Yamdoot(死神)」のお世話になるしかない、ということで(笑)
もちろん、こうして日記を書いているからには無事に生還したわけですよ。デリーの道はさすがに中央線もあるし、道路幅も広く、ついでに一度ロータリーを多く周回したくらいで道に迷うこともなく、きわめて安全かつスムーズな移動でございました。
これにて三十路の禊ぎは終了。
あとは福がどんどん舞い込んでくることでしょうよ。
隠れたテーマその2:
JNUバイク隊隊長のアルカカット氏は「インドカリスマ」の名の通り、ヒンディー語、ウルドゥー語を学ぶ学生たちの間では超絶アイドル扱い。一挙手一動足がせん望の的、黄色い声の対象になるらしい。
そんなことが許されるのか。隊長も我々と同じ平民でなくてはならないのではないか。
黄色い声援を浴びるだけだったらまだ許そう。「学生たちにかわいい子が多いんですよ」ということまで本人がのうのうと認めているのが気に入らない(笑)。
これについちゃ、かつて数々の巨悪をたたききったがごとく、妥協なき審美眼で鑑定するしかない。
というやっかみ度120%の不純な動機。
観劇後…
悔しいけれど、確かにきれいな女性、かわいい子がいたのは認めよう。
とうぜんながら演技で光っていた以上に、舞台を降りたとしても輝き続ける逸材がいたことも。
ただし、舞台終了後も学生たちにはあと片づけが残っていたため、隊長と美人女子大生たちが直接絡む光景は残念ながら確認できず、無念の退散を余儀なくされたのでした。
わたしがズーヤンとインド人にまみれてモモをほお張っているころ、学生たちの打ち上げに招待された隊長が、わたしと同じくらい下がり目な目尻をさらに下げていたかと思うと、なんとも遺憾の意を表明させていただきますよ。
冒頭の一文とはあまりにかけ離れた三十路男の往生際の悪さ&本音?。どうぞ同情してつかぁーさい。
by itoyamamakoto
| 2007-02-24 22:54
| まちかど歩けば新発見