2006年 12月 30日
久しぶりのガチ巡礼地 |
「あっ、おかえりなさい。で、パキに抜けることにしたんっすか?」
「それがな、マドゥライに行くことにしたわ。その辺歩いとったらごっつおもろいおっさんとおうてなぁ、『明日にもインド出るつもりや。暑うてたまらんし』とかいうたら、『マドゥライにはいったのか』って聞いてくんねん。おっさんの話ごっつ面白そうやったし、そのまま駅いって切符こうてきてん。けっこう高いな」
「えっ、でも、マドゥライってどこにあるのか知ってるんですか?」
「いや。知らんけど…」
「インドの一番下ですよ。ちょっと時刻表見ますから…。ほら、あった。これ、まるまる3日間汽車に乗りっぱなしですよ。」
「あかん。やってもうた。エアコンなしの灼熱列車や。なんでそんなとこにあんねん、ま〜どぅ〜らい〜〜っ!」
10年前。
大学5年目留年、そして休学という人生を踏み外す偉大な一歩を刻んだ年の5月末。デリーは最高気温45度という化け物じみた暑さ。
そのうえUPHAR GUEST HOUSEという当時の日本人宿のドミトリー(相部屋)には、階下の菓子工房で使われるオーブンの熱を逃がすためのパイプが屋上へと通っているため、一年中、中国でいうところの「暖気」が備わっているような、ただただ汚いだけではない、わたしの旅人生史上最悪の住環境を誇っておりました。
夜になっても、日中強烈な日差しを浴び続けたトタン屋根の保温率は凄まじく、住人たちはそれぞれ一時間おきに目を覚ましては便所兼シャワー室の水を豪快にかぶり、水滴を体に残したまま横になれば気化熱のために幾ばくかの時間、心地よい眠りが与えられるという輪廻転生の繰り返し。
そんなファンタスティックパラダイスにて、わたしと、これまたアジア横断の旅を続けていたわたし的「関西こてこて度ナンバーワンランキング今もって1位継続中」の巨人ファン(笑)、仲西さんによって交わされた会話を再現してみました。
あのとき、彼の口から飛び出た3オクターブくらい突き抜けた
「ま〜どぅ〜らい〜〜っ!」
というセリフはいつまでもわたしの耳に残り続け、その年の8月、トルコはイスタンブールの街角にて偶然の再会を果たし、
「いや、ホントモウ、ひどかったわ、あの列車。ん、マドゥライ? もうよう覚えてへんな」
と事後報告受けた後も、インドの中の特別な場所としてわたしの心に刻まれていたのでした。
で、何の因果かめぐりめぐった10年後、わたしもその町に足跡を残すことになりましたよ、マドゥライ。
スパイス交易の中心地として、紀元前4世紀にはギリシャにまでその名が伝わっていたというほど南インド有数の古い歴史を持つ都市。
また、町の代名詞にもなっている「スリ・ミナークシ寺院」は敷地内に何本も立つ高さ40〜50mの巨大な塔を筆頭にした典型的ドラビダ様式の豪快かつ緻密な建物が特徴。建造されたのは1560年のこと。
ただし信仰の中心地としての歴史自体は2000年以上に及んでいるというから、これは名実共に「聖地中の聖地」。
巡礼者の数も日算10000人を超えるほどだというから、仲西さんを南インドの端っこまで
向かわせることに成功した某インド人おっさんもあながち嘘を言ったわけではないことは伺えようかというもの。
とは言いつつも、純粋ヒンドゥー的なものには興味はあっても同時にまったく忌避感がないかと言えばこれまた大嘘。北のアヨーディヤ(UP)ではまた政治、選挙がらみじゃきな臭くなりそうだし…
だから夕方4時になるまでなんだかんだでだらだらすごし、これさえやればこの町のクエスト終了と言ってもいい「ミナークシ参拝」に足が向かなかったりもしたんだけど、いやぁこれが見事なくらいに逆期待はずれ。
実際にその門をくぐった瞬間から、思いもかけないくらい純粋巡礼地に久しぶりに触れることができたのでした。
寺院に大勢押し掛け、ご本尊の周囲を何重にも取り囲んで並ぶ参拝者の列や薄暗い寺院内をてらすろうそくの明かりとその燃料となっているバターランプの香り。
これはまさにチベ寺(チベット仏教寺院)の雰囲気そのままではないですか
さらにまさかまさか、五体投地しているインド人まで見ることになろうとは…
いちおう参拝料金を設けながら、それっぽく振る舞っていればそこまでしつこくチェックされないおおらかな姿勢も気に入った。
ご本尊中のご本尊は遠くから眺めるだけで金色に彩られた豆粒みたいなものがみえただけだったけれど、それはべつに大きな問題ではなし。
だってヒンドゥー教寺院にかぎらず、キリスト教の教会だって、イスラム教のモスクだって、日本の神社だっておんなじ。
その宗教の信者ではないわたしのような部外者がこうした寺院に参拝させてもらった場合に何を感じるべきなのか、というのは、人々の生の信仰心に触れてその純粋な心への敬意を新たにし、彼ら彼女らとどう付き合っていくべきなのかをちょっぴり真面目に考えてみることにあるはず。
そういう意味ではマドゥーライのスリ・ミナークシ寺院も人々の熱気、純粋な心が凝縮され、デリーの排ガスにて黒ずんだ心を久しぶりに洗浄できたような気分。
おかげさんで時間調節のためだったマドゥライもやっぱり訪れてよかった場所の一つに。もちろん怪しげな観光ガイドや「麻理罠、覇獅子」のたぐいは寺院周辺でうんざりするほどよってきますんでご注意を。
とりあえずは仲西さん、どうもありがとうございました(笑)。
by itoyamamakoto
| 2006-12-30 18:42
| またまた旅に出ました