2005年 07月 18日
雲南の太監大海を知る |
今日は「海の日」
というより、日本では3連休のラスト一日ということで、さらには北部九州で前日「梅雨」が明けたということで、どこに行っても人・人・人。
たまたま用があって、よりにもよって福岡ドーム周辺に行ってみると、たかだか1キロくらいの距離なのにバスで40〜50分もかかってしまう爆渋滞。車窓からは海で遊ぶ人、ホークス観戦の人、ショッピングの人、そう、やっぱり人・ひと・ヒト。この混雑ぶり、決して中国に引けを取りませんね。
でも、そんな話は本日のメーンではなく、
「海の日」です。
日本では、「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」として、1996年から7月20日を国民の休日として成立、さらに「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」の施行で、「ハッピーマンデー」制度の網にかかってしまい、前述の通り2年前からは7月第3月曜日をあてがわれちゃいました。
多くの人は、もともと歴史の浅い、ぶっちゃけ大したいわれのない「記念日」だから、「どこか2戦級投手のような扱い」を受けたんだと考えがちですが、この海の日。ちょっと調べてみると、それなりの由来があったりする。
財団法人日本海事広報協会というほとんどメジャーじゃない(失礼しました)団体のホームページによれば、
「海の日」の前身である「海の記念日」(7月20日)は昭和16(1941年)に始まりました。これは、明治天皇による明治9年東北巡幸の帰途、灯台視察船「明治丸」で、青森から函館を経て横浜に無事到着した日に由来した
というから、あまり下々には縁のない話。いやいや、決して昨日今日の祝日じゃないんです。
でも、もっと深ーい歴史があるのに、日本よりもっともっと最近「海の日」を制定した、いわば「海の日新参者」の国もあります。そう、わたしが書くからには中国です。始まったのは、
なんと今年!
しかも休日じゃないから、多分10億以上の人民は知らないんじゃないか、とさえ思える。
突然ですが、ここでクイズ。
中国の「海の日」は何月何日?
それは何にちなんでのことでしょう?
中国人ですら分からんことを聞くな!と言われそうですが、このブログに初めて海が登場するその日こそ、まさに中国の「海の日」なんです。相変わらず、冴えてますねこの伏線の張り方。
そう、答えはわたしが青島から船に乗った「7月11日」。
では、その理由は?ということになりますが、雲南省昆明の出身で中国史上最も偉大なオカマちゃん、いやいや偉大な太監(宦官)であらせられる「鄭和」の「下西洋(大航海)」が始まった1405年から600周年という節目を記念したものなんです。
ところで、この「下西洋」という言葉。非常に中国っぽくてすばらしい。現在も普通に使ってるところがまた何ともすばらしい。
実は、偉い人が嫌いなわたし(→5/26参照)にとって、この鄭和は玄奘三蔵(→5/27参照)とならぶ尊敬できる中国人の一人。と、格好いいこと言いながら、わたしもほんとに鄭和に興味を持ったのは1年くらいの昔だから、海の日について「新しい」「古い」などとはいえない、新参者ではありますが…。
会社を辞めた後、ようやくまとまった時間が得られたんで、それまで読みたかったハードカバーの本をまとめて購入したのがきっかけ。文庫本だと仕事の途中に読んでられるんですが、あんな大物はなかなかねぇ、「仕事さぼって読み込んでます」って雰囲気たちまくりですから(笑)。その中の一冊に「1421」という本があったのでした。
この「1421」。
読後の日記によれば、
最後の「1421」は中国・明の皇帝だった永楽帝が鄭和をリーダーとして1421年に派遣した大船団(100隻超、約28000人)が、コロンブスの発見(1492年)よりも早くアメリカ大陸に到達していたという「驚き」の事実の紹介だ。実際、アメリカどころか、北極圏や南極大陸、オーストラリアまで出向いていたという証拠を例示して、偉業をたたえている。著者は潜水艦で世界中の海を巡ったという英国人。カリブの海底にある石畳の道やオーストラリア海岸から見つかったジャンク船の木片など個々の事実については各分野の専門からによって既知のものながら、「大船団が地球を一周した」という仮定の下、すべての事実を結論に向けて紡ぎあげる手法は素人の枠を超え、世界史に残る新しい発見を導きだしている
と大層なことをお書きになっておられます。
繰り返すと、その鄭和の「大発見」の第一歩となった航海が1405年7月11日に始まった、というので今年から「海の日」なのでした。
おいちょっと待ってくれ。
鄭和の第一回出航の日などもっと前から分かってたんじゃないの?
いい質問ですね。
新中国成立、抗日勝利などは10年単位、5年単位どころか、毎年でも今年が最大の節目みたいな勢いで「お祝いする」国ですから、こんな偉大な記念日をもっと前から制定していても良いんじゃないか、とおっしゃるわけですね。
もともとこの「1421」の著者である「GAVIN MENZIES」が、真否のほどはまだ明らかでない(わたしは何の根拠もない感情的な完全支持派)とはいえ、世界史を覆しかねない発見をしてしまったもんだから、中国の歴史学者は思いっきりプライドを傷つけられたんじゃないか、と思うんです。
西洋諸国のどこより早く世界一周を果たした、ということは、今の時代で言えば、NASAに先立って火星や木星に人類を送り込むようなもんでしょうから、中国政府的には、例え真贋がまだ定まっていないとしても、国際世界に向かい声高々に打ち上げることは容易なはずです。
でも、この本が出版されてまだ3年くらいしか経っていないし、思い切り先を越された感のある中国の歴史学者たちが、後追いの確認作業に真剣になれるか、と考えれば、間違いなく著者の見解に否定的な立場を取る方が、学者さんたちのメンツも保ちやすかったりするわけで…。
わたしはこの作品発表後、実際に学会などで起こった論争の内容は全く知りません。ですから、海の日を前にした報道ぶりや本屋の状況などを見ていて、「あまりに盛り上がらなすぎる」と感じたものですから、こんな想像をしてしまっただけです。
ちなみにその「本屋」ですが、当然「抗日勝利60周年」などはどの書店でも何ヶ月も前から、すばらしい特設コーナーが設けられているわけですが、「鄭和下西洋」については、北京最大規模の書店にもそれらしきものは最後まで設置されず終いでした。
それどころか。
上海社会科学院出版社の「探検/大旅行家遊記」シリーズの「鄭和下西洋・1421中国発現世界」(48元≒630円)という本が、それまでは結構店内のいい位置に平積みされていたというのに、「海の日」2ヶ月前くらいから、全く見なくなってしまったのです。
同シリーズはほかに、玄奘三蔵や義浄、マルコポーロなど錚々たる冒険家たちを豊富な写真資料で紹介した、外人にもそれなりにわかりやすい内容になっているので、玄奘三蔵に続き、ぜひ鄭和編も買おうと密かに心待ちにしていたため、じつは内心かなり焦っていたわたし。
「2冊だと100元近くなるのをけちらず、玄奘編買ったとき一緒に買うべきだった」
と真剣に後悔じ始めた6月下旬のある日、西単の巨大書店のなんと「オカルトコーナー」の片隅に存在感を消すように並べられたその本を見つけ、問答無用で買い求めたのでした。
それまでは単純に売り切れたと思っていたのですが、「なぜオカルトコーナーに格下げなんだ」との疑問が急浮上。でも、その原因らしきものはすぐに発見できました。
実はこの本、原作は日本人の歴史学者によるものだったのです。
その人物の名は「上杉千年(うえすぎ・ちとし)」さん。
不勉強なわたしはこのとき初めて聞いたそのですが、その道では非常に有名な人物らしいのです。というのも、長年にわたり歴史教育研究家として、さらに「新しい歴史教科書をつくる会」でも中心的な立場で活動されているという、まさに中国政府にとっては「不倶戴天」ともいうべき主張をされている方。
わたしとしては、こういう立場の方が鄭和についてどう書かれたのか、この本に対する興味がさらに湧いてしまうものなのですが、本を売る側としては全く別の対応を取らざるを得なかったわけで…。
この本が書店から姿を消したのは、時折しも教科書問題花盛り、反日運動花盛り、のご時世。中国的には「右翼の本丸」とも言える上杉さんの作品を書架に置くなど「もってのほか」という上からの指令があったか、書店による自己防御本能が働いたのではないでしょうか。
それにしても、です。上杉さんの本以外に鄭和についての本が全く見あたらないというのも日本人的感覚からはやっぱり不思議に感じます。やっぱりおかまチャンはどの時代も日陰の存在なのだろうか、そんなバカな話すら信じてしまいそうになりますね。
まだまだ中国の歴史、そして歴史学会、色んな意味で奥が深そうです。
by itoyamamakoto
| 2005-07-18 22:55
| ちょっと思ったこと。