2005年 09月 20日
日本語の角で頭を打つ |
中国には「英語角」というものがあります。
日本語でいうなら、「英語を学ぶ中国人たちが空いた時間を見つけてある場所に集まり、英語のネイティブスピーカーたちと気軽に語らいあう場所」という説明で多分正しいはず。
とくに今の時期のような新学期スタート直後だと、中国に来て間もない西洋人留学生たちが興味本位&相互学習の相手を見つけるため、積極的に参加しているようで、
「ちょっとメアリー聞いておくれ。昨日どんな大変だったか。スタディーパートナーを見つけようとイングリッシュ・コーナーにでかけたこのおいら。もう中国人学生に囲まれちゃってオー・マイ・ゴッド。てんてこまいさ。で、いい相手は見つかったのかって?そいつは聞かないでおくれ、マイ・ベイベー…」
みたいな会話を聞いたことがあるようなないような。
日本でもテレビなどから「さて次は○○のコーナーです」なんて言葉を聞いたりしますよね。だから英語で聞く「〜コーナー」にはそう不自然さはないんですが、それをストレートに「英語角」と書かれるとねぇ。
「角(かど)って。。。まんま過ぎやん」
と言ってやりたくなります。
で、中国人は13億人全員が英語だけを学びたいわけではなく、中には日本語を学んでいたり興味を持ったりしている人もいるわけで、本家に倣った「日本語角」というのも中国各地で結構開催中。大小規模の差こそあれ、それこそ国内数百は下らないんじゃないでしょうか。
もちろん、ここ西南民族大学でも毎週火曜日午後7時半からキャンパス内広場で、この「日本語角」が開かれております。
成都再降臨以降、この大学こそわがホームグラウンド(男の戦場)なわけですから、当然のごとく毎週参加。単に居候させてもらっている同大日本語教師「塾長」への奉公&ご恩返し、という話もありますが、とにかく「レギュラー参加」させていただいております。光栄です。
ところで民族大には日本語科の学生が各学年約30人。×4で120人までなるものの1,2年生は郊外の新校舎にいる(隔離中)ため、まあ数に入れられるのは約60人。それに対して日本人留学生は4人。塾長ら日本人教師2人を含めても1対10という超不均衡状態。
もちろん学生全員が参加する訳じゃないんだけど、この基数の違いから見ても、日本人が絶対的に足りてないのは、四川人の麻雀好きより分かり切ったことなので、前述の西洋人ピーター(仮称)みたいなことがここでも頻発しちゃいます。
今のところは「塾長」コネクションを使って四川大学に留学中の日本人学生が毎回数人はやってきてくれてるんで、だいたい一人あたり5,6人に囲まれます。その内訳を見れば、だいたい一人二人が日本語にちょい自信のある人で、残りはどこに行っていいかも分からないからとりあえず知り合いの隣にいて黙りこくってる、というパターン。
なら来るなよ
と言ってしまいたいのですが、もしかしたらヒアリングの練習を集中的にをしたい人なのかもしれないし、ね。
ちょい自信のある人たちでも、分からない言葉も「そうですね」なんて頷いて分かったふりするのが向こうさんの得意技だって事が最近分かってきたんで、「気遣いの人」であるわたしはいつも
「難しい話にならないように」
なんて気苦労が絶えません。
もちろん楽しみもない訳じゃない。
色んな学生と話ができて、珍しい民族の学生や個人的に面白い「珍獣」なんかを発見できるかもしれない。
そう思わなくもないけれど、でも出会いの神様はわたしにそっぽを向き続けているようで、この3回、一直線に同じ娘たちに囲まれてます。
どれも、真面目そ〜で冗談言ってもその笑いにどう対応していいか分からずに結局苦笑いを帰してくれるような女の子たち。
話題は何故か日本語学習の大変なところなんていう堅苦しいだけでどうでもいいような方向になってしまうのに傍らじゃ、他のグループから
「そんなアホな」
とか
「超かわいい」
とか
「今度火鍋に行こう」
とかとか。
ボクも参加させてください、的な楽しい声が聞こえてくるんです。耳ダンボで聞いちゃいます。そんなときは。
俺が中国人だったら絶対隣のグループに移りたい
と思うんだけど、わたしを取り囲む彼女らは飲み会の時のわたし以上に腰が重かったりする。全く持ってなぜだか分からない。わたしから言うのも何ですがどうせなら楽しく日本語を勉強したくないんですか。残念です。
日本人相手に、だったら結構面白いこというんですよ。
でもここの学生たちには通用しない。
もうすこし会話のテクニックを磨くことにします。
「日本語角」だけど、日本語の角で頭を打って角の取れたスムーズな会話を目指します。
やっぱり日本でも通用しませんかね。
こんな「駄」にまみれた事ばかり考えているうちは。
by itoyamamakoto
| 2005-09-20 21:07
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