2006年 07月 09日
鮮やかに火鍋隊引退式 |
チベから日本へ日記2
今日は火鍋隊。
ただし、火鍋隊サイドバックのわたしが無事にチベットから帰還したことを祝う「隊活(部活)」の意味合いは純正10%くらい。
やはりここでも裏で糸を引くは日系四川人のゴッドマーザーmingxizi大姐
彼女もまた、あと一週間もすれば日本に当分帰国してしまうということで、火鍋隊メンバー総動員態勢で緊急スクランブルとなったのでした。
場所は前回の「発表!火鍋隊日本代表」(5月16日)と同じ。
参考→ http://itoyama.exblog.jp/m2006-05-01/#2196821
四川大学そばの高級火鍋ストリートにある「玉龍」。
参加者は総勢11人。
そう、またもやの11人…
ならば、
これでいってりゃ予選リーグで敗退することはなかったであろう完璧「フォーメーション」で地獄油に攻め入るか?
いやいや
本日はわたしの友だち、北京からの刺客(政客)も現れ、さらにmingxizi大姐の徳をしたって地元四川からも2人のメイニュウが参戦いたしましての11人編制。
別れを惜しむ態勢は整ったものの、オシム・ジャパン招集にはちとまだ早い。
とにかくわたしの会うために成都にまで現れてくれたのは最高に嬉しいんだけど、火鍋の前ではわたしもそんな私情はぬぐい捨てて「剥き出し」にならざるをえないわけで、
「ぜひ本場成都の火鍋が食べてみたい」
という彼はまさに飛んで火にいる夏の虫。
挑戦のメッセージにも聞こえてしまうようななデンジャラスな発言をしてしまった政客「イーガオ」さんを引き連れ、実質的主賓に対するなんちゃって主賓のせめてもの抵抗。みなが食い始めておそらく30分後、一番もったいつけて最後に登場してみたのでした。
ところで、これまでに成都および北京にていくどとなく酒の席に遭遇、邂逅、時に語らい、時に迷い、時に討ち死んできたわたしだけど、成都組と北京組が同席する飲み会ってのは本日が初めて。
もともとわたしの酒のスタイルってのは、大勢の席では人の話を聞きつつ酒と食い物をかっ込み、一対一、一対二とかの少人数の席ではある相手とじっくり話を重ねつつ酒をちびりちびり。
ところが今日のような場合、当然ながらわたしを通じてしか繋がらない人間関係というのもあるわけで、
ビール瓶片手にあっちこっちにお声かけ、彼は楽しんでるかな、あっちは一人さみしそう
なんてのは、一番の苦手分野。
そんなの飲み会なんだからアルコールの力ですぐみんなぶっちゃケチャうっしょ。ぜんぜん気にすることないじゃ〜ん
って思うんだろうけど、
結果、
どうだってのかって?
スキさえあればかんぱ〜い!
嬉しいことあればかんぱ〜い!
と盛り上がる北京風はここでは全くの御法度というか、だれもやらないそんなこと。
いや…
きょうはいた。
四川有数の日系、中国系メイニュウをそろえ、有数の火鍋屋にお連れしただけに
「いやぁ、牧場主さん。からいけどうまいっ。美女に囲まれ最高っ」
と嬉しさげ120%の政客「イーガオ」さん。
当然ながら喜びの表現方法は
「今日は楽しいな。だから飲みましょう」でありまして
「かんぱ〜い」「干杯」
九寨溝観光で買ってきた50数度のアバ州」産「チンコー酒」もフトコロから取りだして
「かんぱ〜い」「干杯」
と満足していただけることは非常に嬉しかったのね。
ただ、それに付き合ってくれるのは女性陣の数人、mingxizi、チュンチエンなど大物勢力のみ。
火鍋隊に紛れていた火鍋愚弄隊の男漢子(塾長、xiaochuan)どもの大人しいこと大人しいこと(笑)。
で、わたし。
火鍋屋に行って火鍋を殆ど食べなかったこと
生涯初めてでした。
これも30分ほど遅れていった罰でしょうか。
空きっ腹にアルコールをどぼどぼ流し込むよりは、たとえ油、唐辛子、花椒まみれの火鍋具材であっても胃の中に入れていた方がどれだけ酔いの進行を抑えてくれるでしょうか。
とにかく、こんなべろんべろんになったのは久しぶり。
◎参考写真:写真を撮るのも忘れてしまいました。撮った人誰かちょ〜だい!
最後の火鍋隊活動で火鍋を食べないというのは失態なのか、それとも別れ際ってのは往々にこんなものなのか。
一応は引退式じゃなかったっけ?
お涙ちょうだいはないの?
そんなことみぢんも考える余裕ないくらいニコニコしていたらしい当日のわたしでした。
だって「わが火鍋隊は永遠に不滅」「火鍋フォーエバー」でしょ、対不対?
by itoyamamakoto
| 2006-07-09 19:42
| いろんな交流してます