2006年 07月 07日
今年はおだやかに、ね |
中印シルクロードの復活
四川商人のビジネスチャンス限りなく
亜東の商人7割以上は四川から
長距離輸送、飲食、生鮮品販売などは川商の天下
【7月7日=華西都市報】
世界の人口2大大国を隔ててきた鉄条網が静かに撤去された。44年の時を経て、中国とインド両国は6日午前、チベット自治区亜東県とインドのシッキム地区とにまたがる乃堆拉山口の国境を開放した。
この場所はかつての「シルクロード」南線の主要ルート。中印両国によって数百年にわたって友好的に行われていた国際貿易が復活するとともに、中国とインドはそれぞれ仁青崗辺貿易市場と昌古辺貿易市場を相手国民に開放することになった。かつて両国軍が対峙していた国境には多くの人々が流れ込み、商人たちは握手をしたり記念撮影をしたり互いにチベット仏教のカタを奉じあったりしてこの記念日を祝福。屋台でチベット産の香やツァンパなどを販売していた53才のロサンさんは「長年待ち望んでいた市場がとうとうオープンした」と喜んでいた。
北京時間午前10時、中印両国は乃堆拉山口の両側にて同時に両国旗を掲げた。11時40分、辺境貿易は正式にスタート。インド・シッキム州のチャムリン首席部長の司会で開通式が行われ、式には中国西藏自治区人民政府のシャンバピンツォ主席、中国駐インド大使館の孫玉尓玉大使らも出席。終了後には、中印双方の市民がそれぞれの国境を越えて現地の様子を参観したものの、この日実質的な貿易が行われることはなかった。専門家によれば、乃堆拉山口のオープンおよび7月1日の青藏鉄道の開通は、中国とその隣国であるインドとの現代のシルクロードの開通を意味し、「調和のとれた地区」の建設を促進させるという見方。
西藏亜東地区貿易の開放と青藏鉄道の開通は、インドを中心とした南アジアとのビジネスにおける四川の企業の優位性を際だたせるものでもあった。現在、四川商人は大挙してチベット市場に進出しており、この南アジアとの商機も的確につかむとすれば、他に先駆けて商機を独占することになる。
分析者によれば、乃堆拉山口での開放の初期段階においては、シッキム方面からの貿易額は毎年2億ドル程度とみられる。このほか、青藏鉄道の開通によって、中国内地から乃堆拉山口を通じた南アジアへの商品の流れやその種類は増加を続けるという見方。中印両国の潜在的な貿易規模は決して低いものではなく、中国西南部と南アジアがひとつの貿易圏として一体化するという局面すら想定されるという。青藏鉄道は今後さらにシガツェ、林芝などに延伸する計画で、この亜東もまさにシガツェ地区に位置している。新しくオープンした乃堆拉山口は疑いなく南アジアの陸路大動脈となり、中印貿易を拡大させる。
☆亜東はまるで成都周辺の田舎町
「亜東乃堆拉山口は西部地区で最も海に近い交易地であり、その再開は大量の物資の輸出入や価格の低下を促し、それは四川にとっても十分なメリットになるだろう」。亜東現地の責任者はこう話す。「亜東で商売をやっている人の7割以上は四川から来た人たち。この辺境貿易の再開を彼らは間違いなく千載一遇のチャンスとみている」。乃堆拉山口のオープンは彼の地で商いをしている四川商人たちを特別興奮させ、その利益を得ようと目を光らせている。
亜東は四川商人の天下
現在亜東には四川出身者による店が250件程度開かれ、飲食店やホテル、百貨店、建築請負から長距離バスの運営まで、その内容は多岐にわたる。「亜東に来ればチベット自治区にいるというよりも成都周辺の田舎町に来たような気分になる」と嘆くのは広州からこの地で商売を営む男性。「亜東はもう四川人の天下だよ」と続けた。
「20世紀80年代中ごろ、亜東に最も早く訪れた四川人は全て野菜の売買人だった。その後経済の発展につれてどんな商売でもやるようになり、現在の亜東は内地のどの地方とも大差のないほどに発展した」。亜東最大の百貨店(雑貨屋)の社長で四川出身の文礼徳さんはこのように振り返る。「私たちは何でもやってきました。亜東とシガツェを結ぶバスの経営者もまた基本的に全て四川人です。私も自貢の出身ですし…」。運転手の宋林さんもこう話した。
亜東では運輸関係以外にも、飲食業、野菜の販売などの分野もまた基本的に四川人によって行われているという。
四川と南アジアとのビジネスチャンスを開く
四川商人の存在感はすでに亜東およびラサ地区では重要な地位を占めており、南アジアとの陸路の大動脈が日を追って整備されていくとすれば、四川人もまた南アジアとの多くの商機を最も身近な場所でえることができる。「チベット乃堆拉山口のオープンと青藏鉄道の開通は、四川企業に対してもインドやその他南アジアのマーケットに対して一つの大きなビジネスチャンスを与えたことになる」。四川大学南アジア研究所の文富徳所長は数日前、このように明言した。
「青藏鉄道の開通に加えて今回の乃堆拉山口オープン。西藏、青海、甘粛、寧夏、四川など多くの内陸省にとって、中国と南アジアとの人と物の往来を促すものになる。特に四川は南アジアと地理的にも近く、だからこそ四川企業にとって大きなチャンスを意味している。乃堆拉山口の開放でインド進出の大きなチャンスとなりえるだけでなく、南アジア全域に展開する足がかりでもある」
この二日間、亜東辺貿易市場で取材した結果、インドなどの南アジア国家では四川の絹製品、食品、漢方薬、小型電子商品や日常品などの人気があり、亜東最大の百貨店の文礼徳社長は「ネパールやブータンの商人の多くは私の店にある小型家電などが人気ですね」と説明した。
予測:特殊探検ツアーも商機
亜東乃堆拉山口における辺境貿易の再開は、旅行業界にとっても、特殊な探検ツアーといった企画などでも商機を呼び込みそうだ。今後旅行者が南アジアへの陸路ルートをたどって亜東からインドに入国するようになれば、彼らは青藏鉄道沿線の高原雪山の景観を楽しみ、チベタンアンテロープなどの珍しい高原の生き物を観察。チベット自治区に入った後は高原特有のチベット族の生活習慣やヤルツァンポ川大峡谷の風景などを堪能。最後に亜東からインドへの入り、インドの最も開放された先進的な一面と、シッキム地区の最も伝統的なインド文化を楽しめる。「この完璧ともいえる青藏鉄路ーチベットーインドの旅行黄金ルート、今後少なからぬ成都の市民が先を争って観光に訪れるに違いない。亜東経済の発展に伴い、更に相当程度の資本の投資も必要になるだろうが、旅行業もまた(貿易と同じ)一つのビジネスチャンスになるだろう」。成都のある旅行関係者はこう話した。
◎参考写真:シッキムから亜東にやってきた人たち。わたしも混じりたいっす
【評】
世間に反日旋風が吹き荒れていた昨年の7月7日。
あろうことか北京市郊外にある廬溝橋の中国人民抗日戦争紀念館、あろうことか廬溝橋事件が発生したズバリ7月7日、リニューアルオープンしたその日に「他流試合」を申し込み、門番の“わかぞう”武装警官どもとちょっとした小競り合いを演じたすえ、無事「門前払い」をくらったという、若かりし一年前。
今じゃカイラス山巡礼も終え、その達観の程度は、高卒を期にきっぱり暴走族を卒業したばかりの19歳の元ヤンなみ。
「牧場主先パイ、マジ落ち着かれましたッス!!」
なんて歯の溶けた後輩連中に言われそうなくらい丸くなったわたし。
だから今年は反日のハの字もあおることなく、未来を前向き、希望的に報じた記事を紹介してみました。
ついでに言うなら、4月11日の日記で紹介したニュースの続報。
これまでさんざん「だらけ者」のレッテルを貼ってた四川人が、こんなチベットの端っこまで精力的にがんばってきたこと、中国中央政府の「チベット本土化プロジェクト」の一端を忠実に実行する「愛国者」だったってこと、この記事を読んで耳が痛くなるくらいに分かりました。みなさんも分かりましたでしょ…
でも
「四川人と国際化」
これはまったく別次元のお話。たとえ、日頃から「外国語のような中国語(=四川弁)」を話してる彼ら彼女らだけど、
中国の論理が通用しない場合はどうするの?
世界中に200くらいある様々な国のなか、たぶん最も中国の論理が通用しない国がお隣のインドであるのはマニアには周知の事実。
だからこそわたしもその「両極端」な2つのお国に興味を持ったわけだけど、予想よりも早くその「文明の衝突」が始まってしまうみたい。
決してチベットではチベ語をしゃべろうとしない四川人たち。ズーズー弁の四川語でインド人とも値段交渉するのでしょうか。それともクイーンズイングリッシュを身につけるのか。
麻辣好きの奴らが何でもかんでもカレー漬けの生活に耐えられるのか、それとも「正宗川菜(本場四川料理)」の看板が乃堆拉山口を越え、世界第三の高峰「カンチェンジュンガ」見守るガントクの町にも登場するのは時間の問題なのか。
楽しみ以外に何もありません。
そんなことやあんなこと、そんな研究機関があるなんて知らなかった四川大学南アジア研究所の文富徳所長とやらにわたしも取材してみたいもんです。
まあ、きょうはめでたいめでたい。
つっこみどころもぎょうさんあれど、それを指摘するのも大人げなし。
自分の記者をわざわざインド国境まで派遣する「華西都市報」には、地方紙の壁を越えて中国ではかなり珍しい、もしかしたら中国初の「ブロック紙」に成り上がろうとする野望すら感じることができました。
「四川人のいるところに華西都市報あり」
ってかんじでね。たぶん今後なんのフォローもないだろうけど、目出度いときはおめでたく報じるのは嫌いじゃなし。★★★★☆
by itoyamamakoto
| 2006-07-07 11:53
| これは面白ニュース!?