2006年 04月 15日
勝手に祝入藏10周年! |
と、にぎにぎしく始めさせてもらいましょうか。
あれっは10年前まえっ♪
大学生活5年目という「まっとうな人の道」からは大きく足を踏み出し(外した?)てしまった1996年4月のこと。初めてラサの土地をふんだのでした。
と、ここまで書いておきながら実はラサに入ったのがいつだったのか、覚えていないところがまた、わたしらしくて良し。
4月6日くらいに長崎から上海行きのフェリーに乗って翌日中国入り。上海滞在3,4日で南京へ。南京一泊。そして次は武漢。初めて揚子江を見てでかい橋を渡っただけの記憶。続いて列車(後にも先にも最後の軟臥!)で2泊ゆられて成都入り。その後どれほどの腐れ縁が生じるかなどそのときは想像だにすることなく、交通飯店のベッドに2晩ほど世話になって飛行機でチベ入り。
さあ、みなさん。
わたしがチベットにたどり着いたのはいつのことでしょうか?
ねっ、たぶん15日くらいにはなるでしょう。
だから本日を「かってに入藏10周年記念日」と決めたのですよ。
当時も宿をとったのはヤクホテル。
もちろん今のような2つ星ホテルに「成り上がる」前。シャワーは昼間の温かいときのみ。みんな寝静まった真夜中に公安がいきなり部屋まで検問にやってくる。でも中庭にはチベット伝統的テントが張ってあったりして。
何より今と違うのは、色んな日本人が集まってきてました。
4月半ばにチベットくんだりにいる人間にまっとうな奴はなし。
世界を股にかけて古着や骨董品、貴石などを集めては小銭、大銭を稼ぐ人。
大学じゃなく、高校を一年間休学して旅に出ちゃった無鉄砲17才青年。
何度も何度も陸路チベット入りを目指し、そのたび四川省と自治区の周辺で公安に捕まりまくっていた自称カメラマン。
そんな人種のるつぼ的な感覚が、「踏み外し初心者」のわたしにはなんとも面白く映ったもの。
もちろんチベット自体も相当な衝撃を与えてくれたのは確か。
たかがお祈りごときで地べたに体を投げ出す「五体投地」で寺のまわりを一周するばかりか、そのまま1000キロ以上先の聖山を目指そうとするちょっと汚なめだけど普通の人たち。
ここまでか、というくらいに金・銀・パール(ほんとは珊瑚、トルコ石など)を使って極彩色に飾りあげた仏さん。
◎参考写真1:これがラサで一番(=チベで一番)聖なるシャカムニ像@ジョカンで激写
もちろん。
純粋に仏像や聖人像の前で手を合わせられない、マニ車を回す人の群れにも加われない、ひねくれたわたしですから、もっと現実的なチベットの実情にも興味を持ちましたね。
◎参考写真2:こうして大勢で回すマニ車。今?当然参加できますよ。大人になったんで
なんで外国人は自由に旅行できないのか。なんで警察がこんなに威張っているのか。根本的にはなんでここが中国なのかって。
学校で習った「世界の歴史」では何一つ理解できない現実が目の前にあふれているわけで、それを自分なりに体感、咀嚼することの面白さを感じるようになったのもこのころからだったような…。
話はなんか堅苦しくなったけど、そんな10年前のチベット(ラサ)ではなく、10年後の今、22歳のわたしがこの土地を初めて訪れたとしたら、いったいどんな印象を受けるだろうか、などと考えてしまうわけ。
まずは日本人自体が少ない。
ここ数日ようやくちらほら見かけるようになったけど、どうも以前ほど旅行者人気はなくなってしまったのか、ちと悲しい。
お金さえ出せば旅がしやすくなったのは確かだし、内地からの中国人が爆発的に増えたおかげで、ポタラ宮や大昭寺などそのもの「ズバリ観光資源」みたいな場所以外、チベット族の都みたいな独自性も薄れてきた。
ただ、チベットを何も知らない20歳ちょい過ぎの若造には十分な刺激を与えられるのも確か。平和な国で培われた常識からみるとやっぱり「???」みたいな状況も街中歩いてりゃけっこうな確率で巡り会うわけだし、ね。
観光気分100%でやってくるだけでも十分楽しめるんだけど、それ以外に海外で何かを見てやろう感じてやろうと意気込んでる、前世紀的な考えの若者がまだ生息してるんだったら、
10年後(=現在)のラサも捨てたもんじゃないよ
と言ってみたいかな。
◎参考写真3:ラサのどこかで見かける四天王像。火鍋隊の東南西北じゃないよ(笑)
by itoyamamakoto
| 2006-04-15 00:11
| ちょっと思ったこと。