2008年 01月 11日
仏悟りの地はチベ一色 |
10日はアウランガーバードから飛行機を乗り継いでデリーへ。
インドで始めて乗った国営航空会社以外の民間機(今回はJet Airways)は、サービスも行き届いて機内食も手抜きなく、驚くほどに快適でした。
もちろん1〜2時間ほど到着が遅れるのは想定内のこと、もともと昼間は観光なしで休憩にあてるつもりだったし、Jawaharlal Nehru大学(JNU)に向かうことに。
だって息子がどんな過酷な環境で志くじくことなく勉学に励み、日々の生活を送っているのか、知らしめるのも敏腕添乗員のお勤めってもんでしょうから。
でもって夜はこの度2回目の夜行列車。
ようやく南インドを抜け出したばかりなのに今度の目的地は東のビハール州はガヤ。
こちらはブッダガヤに最寄りの駅で、ブッダガヤといえば仏教の祖、ゴータマ・シッダルダ(釈迦牟尼)が悟りを開いた仏教史上最強の聖地というのは御存じの方も多いかと。
何せたった2週間しかない日程の中で、インドのエッセンスをできるだけ詰め込ませるからには、若干無理な移動にも目をつぶっていただかねば、というところ。
我々の乗り込んだJHARKHAND EXPRSSは午後7時45分定時にニューデリー駅を動き出し、いよいよ聖地巡礼とも言える移動をスタート。
ただし、やっぱりただごとではすまないのがインド。
予定時刻になってもガヤのガの字も聞こえないのは当たり前なんだけど、問題はどれくらい遅れてるかが検討つかないこと。
ようやく2時間遅れで到着したはいいものの、心地よく眠っている母親を起こして、出発までに荷物を運び出さねばならないから一騒動。
それでもヒトとモノ、おおむね首尾よくガヤのホームに降り立ったはずだったのに…
はい、カメラを忘れてきてしまいました。
列車内でどうでもいい写真を撮影したばっかりに、座席と背もたれの間の溝に挟まってしまったみたいなのですよ。
かれこれ2年以上使い回しているCaplioGX8。
幾度となく壊れたり、行方不明になったりしながらも、どうにか腐れ縁を保っていた奴とも、とうとう終生のお別れを迎えてしまったね。
そんなわけでこっからの撮影は母親の持ってた名のないカメラに切り替え。カメラ自体の機能がどうこうという以前に、ノートパソコンにデータを移すケーブルすらなく、今回の旅の写真の入手が途方もなく遅れた理由もこんなところにあったのでした。
決してわたすの筆無精が原因じゃないからね、ちゃんちゃん。
辛うじてガヤまでたどり着いたんだから、あとは悟りの地を訪れましょう。ブッダガヤまではオートリキシャを雇ってストレートに、はい、着きました。マハーボーディ寺院の高さ52mの尖塔が見えてまいりました。
ここブッダガヤは世界の仏教徒、各宗派の共通財産とういことで、色んな国が拠点となるお寺を建てていて、とうぜんそこで修行する坊さんたちも袈裟の形や色にそれぞれの特徴ってもんがあり、まさに仏教の一大テーマパークといったおもむき。
つうな観光客には坊さんの姿格好から出身地を言い当てるというマニアックな楽しみ方もできるわけなんだけど、どう見たっておかしいのよ。
釈迦牟尼が約2500年前に悟りを開いた菩提樹の周り、いやいやマハーボーディ寺院の周辺すべて、さらには坊さんから巡礼(観光)客に至るまで、チベットカラーで埋め尽くされているじゃないの。
もちろん、本土系、インド難民系、ブータン系といったマニアック@マニアックな区別はあるんだけど、すべてはバターが共通項なチベット仏教系の方々だったりする。
どうやらチベットに仏教を根付かせた超人グル・リンポチェの何かを祝う祭りの最中で、さらに期間中にはチベット仏教界のナンバー3、カルマパ17世も訪れた、というのはすべてあとで知ったお話。
さすがにヤクはいなかったとはいえ、こちらとしては母親にチベットを見せる手間が省けたくらいの「ぷちイベント」といったとこでしょうかな。
ひさしぶりに、オム・マニ・ペ・メ・フム。
by itoyamamakoto
| 2008-01-11 02:47
| またまた旅に出ました