2007年 10月 24日
インド人と"魔術"談義 |
「makotoさん、こんど魔術の発表をします」
朝っぱらからそんな素敵なことをいわれるインドにくらしています。
寮の食堂にて、新聞読みながらチャイをすすっていたら、今年からJawaharlal Nehru大学(JNU)日本語学科の修士課程で学ぶ阿南徳君が隣に座ってきました。
まだ学部生だった昨年度から、かなり絡みのあった彼との仲。
どちらかというと日本語科一の寝業師阿比熱可君の陰に隠れがちな存在だけど、酒に酔っぱらうとニコニコしながらも目の奥が怖い男、腕を力一杯握って離さない男として、一部日本人の間では有名だったりもする。
そんな阿南君がどういう経緯でマジックショーに出演するのか、と「ハトが豆鉄砲」になっていると、種明かしは意外にあっけなく、ちかく芥川龍之介の短編「魔術」(1919年)について発表しなければいけないということ。
芥川ならば「羅生門」「杜子春」といったメジャーな作品を読ませりゃいいんだろうけど、なぜあえてマニアックな「魔術」をせめてくるのか。
自分がその作品を読んだことないのを棚に上げ、そんな思いに駆られたのもつかの間、阿南君の説明聞けば、指導教官さんの意図はかなりはっきりしたものでした。
どうやらこの「魔術」、日本に暮らすインド人が登場するらしい。日本の有名作家がインド人を取り上げるなどたしかにあまり聞かないから、インド人学生にこそ読むに適した作品かもしれない。やっぱり自分の国がどう描かれているか、気になるもんね。
発表を控え、阿南君は色々まじめに質問してくるんだけど、なんかやっぱりかみ合わないところに日印交流のおもしろさ。
「日本語で『バラモン』とはどういう意味ですか?」
「えっ、ヒンドゥー・カーストのバラモンのことでしょ」
「作品の中に『婆羅門のハッサン・カン』とありましたが、カンはイスラム教徒の名前です」
「ははっ(笑)。大正時代の人にその違いは分からないね。今の日本人だって『カーン』の名前聞いただけでムスリムって分かる人はかなり少ないよ。ボリウッドの有名なカーンさんたちと、イスラム教徒のイメージってあまりに違いすぎるでしょ」
「そうですね。では日本にも蛇使いとか魔術はありますか」
「蛇使いは絶対いない。で、魔術もないと思うよ。『加持祈とう』っていって、神さまにお願いする特別な儀式はあるだろうけど」
「インドにはあるの?」
「はい、あります」
あまりにあっさりしたお答え。
「それって『魔術』に書いてあるような魔術?」
「そうですね」
というが早いか
「さようなら」
と去っていってしまいました。
お〜い、大学院生が「インドには魔術がある」なんて断言しちゃっていいの。ぞくぞくするじゃない。それにまだ読んでなくて悔しいじゃないか。これ以上くわしく聞けないし。
ということでさっそく部屋に戻り、こんなときのための「青空文庫」で、「魔術」をダウンロード。ほんとありがたいね、こちらの文庫は。
東京は大森界隈にくらすインド独立の闘士、マティラム・ミスラさんはカルカッタ(現コルカタ)出身。ハッサン・カンという名高い婆羅門の秘法を学んだ年の若い魔術の大家でもあるらしく、主人公の「私」に、テーブルの花模様を現実化したり、書棚の本を飛ばしたりといった摩訶不思議な術を披露。欲のない人間ならば簡単に習得できるというその魔術を「私」も学びたいとお願いするが…
というあらすじ。いちおうネタばれを避けるために結末はご自分で確認してちょうだい。なあに、10分もあれば読み終えます。
せっかく興味が出たし、さらに突っ込んだ質問にもそなえるため、もうちょっと調べてみれば、このマティラム・ミスラさん、
「マティラム・ミスラ君と云えば、もう皆さんの中にも、御存じの方が少なくないかも知れません」
と文中にあるように当時の文芸界ではちょっとした有名人らしい。
じつは谷崎潤一郎の「ハッサン・カンの妖術」という作品に出てくる人物なのだそう。
この作品は「魔術」の2年前に発表されたとかで、経緯については、「別冊宝島1385作家たちが読んだ芥川龍之介」にある芥川賞作家・藤原智美さんのエッセイに詳しいらしい。
他人の作品のキャラを使い回すってのはなかなか思い切ったことだけど、その世界観を芥川流スパイスでうまくアレンジできるなら、さらに内容は奥深さをますわけだし、これもひとつ短編ならでは味わい方でしょう。大正時代の文豪たちの頭の柔らかさを感じてしまいますな。
にしたって、婆羅門の秘法、インドの魔術は本当にあるのか?
こんど、阿南君に酒を飲ませて聞き出してやろうかな。
by itoyamamakoto
| 2007-10-24 23:51
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