2007年 09月 22日
チベット蝕む川菜魔力 |
T姉アテンド2日目デリー編。
デリーといえば世界遺産のラールキラーやクトゥブミナール、さらに中心商業エリアのコンノートプレイスなんかが見どころ…
と思われがち。
ちっ、ちっ。通(つう)はそんなところにゃあ行きませんよ。
まずはオールドデリー体験。
バイクの後ろに乗ってもらい、有象無象ひしめく慢性超渋滞エリアのチャンドニー・チョウクをスローに通ってみれば、ホントのカオスってものを感じられるはず。
右も左もズラリ立ち並ぶ商店、問屋ががあって、その間をあふれんばかりのヒト、ヒト、ウシ、イヌ、ロバ、ウマ、ヒト。
スパイス、体臭、糞尿などが渾然一体となったエスニック臭がただよい、ひっきりなしに怒号やクラクション音が鳴り響き、要するにむき出しのインドエキスがつまった場所。
車やオートリキシャ、バスだけを使うような一般観光客では決して入り込めないから、これはもうバイク持ちをガイドに採用した特権ってもんです。
そんなチャンドニー・チョウクを抜けて一行がバイクを降りたのは、インド最大といわれるイスラム教のモスク「Jama Masjid(ジャマー・マスジッド)」。入場料Rs.150。
断食月(ラマダーン)ということもあってハラ減らした参拝者たちが殺気立ってうろついてるのかと思いきや、やっぱりモスクは信者たちの憩いの場。
ヒンヤリ涼しい大理石の上でおしゃべりしたり、昼寝をしたり。まったく宗教のこんな一面は大好きですよ。
アジアの宗教はたいていどれも寺院で眠ってもOK牧場。これってなんてすばらしいことなんだろう。ぜひ日本の寺社仏閣も心を広く開いてもらいたいもんです。
そんな寛容なモスクだけど、お祈りの時間だけは別腹。イスラム教徒以外は追い出されるため、デリー市街を一望できるという尖塔(ミナレット)に登る時間はなし。
しかたなくモスク周辺を網の目のように広がる旧市街散策で、時間と神経を費やしてようやくミナレット登頂に成功。
頂上から見渡すデリーの町並み360度はさすがに圧巻で、とくに丸いタマネギ型ドームの向こうに広がるはさっきまでさまよいうろついていたチャンドニー・チョウク。
「高いところが好き」
らしいT姉もこの景色には満足してもらったみたい。
さて、イスラムを満喫すれば次はチベット。誰です、ぜんぜんインド関係ないなんていってるのは(笑)。
デリー旧市街をさらに10キロ近く北上すれば、チベット難民が集まって暮らすMajnukatila(マジュヌカティラ)。
チベット復興運動を宣言したばかりのわたしに案内役を頼んだんだからこんな展開だってぜんぜんあり。クライアントに取り入って、旅程に無理矢理ねじ込んでしまいました。
ところが、このリトルチベット、困っちゃったのよねぇ。
これまでデリーでさんざん探し回って手に入らなかった「お宝」たちが至る所で売られているんですよ。
それはトルコ石でも赤珊瑚でもなく、ヤクの干し肉(ヤクジャーキー)だったり火鍋の素だったり、合法的中国麻薬「花椒」だったりする。それを見つけた瞬間のわたしの焦り具合といったら、もう。
「火鍋セット大きすぎ。特に春雨。背負ったリュックの半分近くは火鍋の素だった」
わたしの注文を受けてわざわざ日本から持ち込んでいただいたT姉の視線がとにかく痛すぎる。
「デリーでも買えるじゃないの。なに運び屋させてんの、この三十路」
ってなかんじでしょうか。たまらず、
「う〜ん、これはゆゆしき問題だ」
こんな言い訳をするしかありませんでした。
「数年前までチベット難民たちは『No China Products(中国製品扱いません)』をアピールすることで祖国を追われた自らのアイデンティティーを保っていたのに。チベット人の味覚はもう中国食民地主義に汚染されてしまったのかも…」
ところがさらに細い路地を歩いていけば、火鍋の素に乾燥花椒の実どころか、
豆腐乳、ごま油、麻辣醤、ザーサイ、康師傅インスタントラーメン、カキ油、粉絲、乾燥梅干し
などなどのどから手の出るほどに欲していた四川料理(川菜)の食材を中心にしたアイテム群たちが続々登場。しかも安い。ゴマ油なんて輸入食材屋の3分の一という90ルピー。康師傅(袋)紅焼牛肉は25ルピー。
これはもう、通うしかないでしょう。
チベット難民街はデリー最高峰の中国食材街っ!。
ただ喜びもひととおり高みに達すれば、また目の前の皮肉な現実に思いがめぐるわけで、笑みも苦笑いに早変わり。
さっき半分口から出任せでT姉に説明してしまった「ゆゆしき問題」ってやつはどうやら真実に限りなく近かったのだということ。本当にチベット人たちには中華料理(四川料理)の魔力に取りつかれてしまったみたい。
「No Chinese Products」の看板を誇らしげに店先に飾っていたかつてのチベット難民街。少なくとも5年前のカトマンズ、1年半前のダラムサラはそうでした。はたして彼の地では今どうなっていることか。
「チベット料理はまずい。それは彼らの母国が標高3000mを超える高地にあるんだから仕方のないこと。かたやすぐとなりは世界一の四川料理食文化圏なんだし」
そう思いながら、チベット自治区内で川菜を食べることを正当化し続けていたわたし。
マジュヌカティラの難民街のレストランで食べたトゥクパ(チベットうどん)とモモ(チベット餃子)、さらに付け合わせの牛骨スープはどれも今まで食べてきたチベット料理の中で最高峰の味だっただけに、何とも複雑な気分になったのでした。
by itoyamamakoto
| 2007-09-22 13:10
| まちかど歩けば新発見