2007年 07月 08日
頤和園で新加坡人観察 |
北京滞在にあたって楽しみにしていたことの一つに「友だちと再会する」というのがあって、きのう夜はシンガポール在住の日本人、豆蓉さんと五道口駅近くの屋外ビアガーデンにて、楽しいお酒を飲みました。
久しぶりに飲んでは出して、出しては飲んでの「消化器系ほぼフリーパス状態」ってやつ。お食事中の方には申し訳ありませんが…
彼女とは実に1年9ヶ月ぶりの再会。
共通の友人の結婚式にて、わたしは四川から、彼女はさらにシンガポールから参集という「遠路はるばる組」に編入されたために、ほんの数日間のうちに何回か食事をご一緒し、
「こいつには何か食わせてりゃ、それで十分」
という本性を見抜かれてしまった間柄だったりする(笑)。
そんな豆蓉さんとなぜ再会できたのかというと、今度は本人さんの所用。
北京語言大学はシンガポールにも支店を出していて、そこで「中国言語文化」を専攻する彼女、卒業論文はすでに提出しているものの、学士取得の最終関門である卒論についての口頭試験を受け、さらに卒業式に出席するため、数日前から北京入りしていたのでした。
土曜日は30分にもおよぶ教授陣らとの質疑応答も終えたんで、お疲れさまも兼ねた飲み会。その場で彼女に
「明日はクラスメートたちと頤和園に行くからitoyamaさんもどうぞ。ホントむちゃくちゃ、面白いのがいるから」
そう誘われれば、断れるわけありません。本日の頤和園行きが決まりました。
頤和園といえば都(北京)の西北、清の時代の離宮であり、Summer Palaceの英訳の通り西太后時代に避暑地として使われたことでも有名。中国最大規模の皇室庭園ってことで世界遺産でございます。わたしが行きたいリストにも先日登場しましたね。
みなさんは学校から送迎バスを用意してもらってるらしく、わたしもそれに便乗するはずだったのに、休日は平日に比べてさらに輪を掛けて本数が少ない語言大行きの「630番バス」。40分ちかく待ってもまだバス停、北京の家から直線距離で300mくらいから一歩も動けず。けっきょくみなさまとは別ルート、頤和園入り口での対面をはたしたのでした
が、さらにこっからがひどい。
「とにかく、ばらばら」
というのは昨日のうちから豆蓉さんに聞いてました。
確かに年齢も20歳そこそこから60歳をすぎたような方まで。国籍もシンガポール以外にマレーシア、台湾、香港、大陸中国人までおりまして、さらにそれぞれが団体行動を最初から放棄したように右に左に動き回るもんだから、全員を紹介してもらう前からすでにグループ解散の危機。
そんなバラバラな中でみんな見た目純粋中華系という共通点だけはあるから又やっかいで、この広大な敷地内に10万人くらいいそうな中国人観光客の中に紛れてるんだから、懐かしの「ウォーリーを探せ」。
何がなんだか分からない。
唯一、みなさんとはぐれないための道しるべになっていた、クラスメートからは「和尚」と呼ばれている坊さん(袈裟姿)まで途中でどこかに消えちゃうし、もうこうなったら頤和園なんてとくに関係なし。こっちも好き勝手にやりましょう。もう豆蓉さんとひたすらおしゃべり、シンガポール学生生活おもしろ話をとにかく教えてもらうという、昨日の飲み会の続きのような展開に。
「先生への贈り物、プレゼントは当たり前。極めつけは先生の旦那の手術費として20万円寄付する某マダム」
そんなんだから、
「とにかく強気にカンニングが当たり前のテスト風景」
一方でやること怠ったり、ご機嫌を損ねたりすると
「学生からのメールを全く無視する先生」
や
「卒論を指導するからと一ヶ月も前から北京にまで呼び出しておいて、まったくみてくれない先生」
なんかもいるそうで、これはもう学問というよりも渡世術を身につけたことへの学位ではないのか、と思えるくらい。
クラスメート同士でも
「過去の先輩たちが書いた卒論を先生から参考としてもらっても、他の学生には回さない」
「それを抗議した某日本人(笑)に逆ギレ。その悪口をレポート用紙一枚にしたため、全クラスメートに配布した」
などなど、とにかく忌憚のない意見交換が行われているらしいですね。
シンガポール校始まって以来という中華圏外からの学生としてこの3,4年間で体験した諸々。そのほんの一握りでしょうが、ご苦労、しかと耳にいたしました。
次お会いできるのはシンガか、広州かホーチミン(サイゴン)か。どこにせよ、またわたしをぞくぞくさせるようなネタをたっぷり仕入れていてくださいね。
人のトホホ話ほど酒席をもりあげるつまみはありませんから(笑)。
by itoyamamakoto
| 2007-07-08 23:17
| いろんな交流してます