2007年 05月 04日
3度目ドッキリ送別会 |
2度あることは3度ある
だから、我らがチャンドラバーガーズ(チャンドラバーガ寮に巣食う日本人)の「ドッキリ企画やられ担当」ことY二郎さんにはまた、生け贄になっていただきました。ただし、今回は
3度目の正直
まもなくここJahawarlal Nehru大学(JNU)を巣立っちゃう彼を、さらなる人間不信におとしめて日本に送り返すなど、良心のかけら残るわたしにできようはずもなく、史上初(笑)となる「グッドサプライズ」をご用意いたしました。
題して「寄せ書きTシャツプレゼント」企画。
超ありきたりベタなアイデアとは言われますな。
限定された時間と空間のなか、インド人とのコラボで隠密行動を進めるのがいかに大変かを思い知った次第。だからこうして日記に残しておこうかということですわ。
そもそも今晩はそんなお世話になった「先輩」を盛大に送り出す第一回バーガーズ解散式(=単なる宴)を開くはずだったんだけど、昨日になって日本語科学生たちから「送別会」への招待状が届けられたもんだから急きょ予定変更。
前日になってそんな招待状を届けるあたり、「あんたら、ホントにわたしらに来てほしいんかい?」と思わなくもないけど、これぞインド式。
結局のところ行くわけだし、「終わりよければすべてよし」の法則やね。
こちらの送別会の方は5月で日本語科を卒業する学部3年生、修士課程2年生を在校生や先生たちが送り出すという最初フォーマル、夕飯はさんでお後はディスコタイム。すなわちインド学生の黄金パターンです。
開始時間も午後7時からになってるもんだから、結婚披露宴の前にホテルラウンジや近くのカフェでビールやワインをあおるがごとし。「めでたいときは『0次会』で前祝いってのが原則でしょう」、とバーガーズはバーガーズで解散式の方も挙行しちゃいました。
トリの空揚げ、エビの姿焼き、あじの塩焼き、アジフライを肴に、子羊Y二郎さんには飲めや喰らえの大接待を展開、Takaちゃんのスペシャルパフォーマンスにも満足していただき、かなり御陽気、「また一つ伝説が生まれるかも」くらいの前準備は完全に整ったのでした。
午後8時すぎ、予想通り1時間遅れで始まる送別会の会場(言語学部の入り口玄関)にピンポイントで到着のバーガーズ。
卒業生たちが一人ずつ壇上に上って感謝の言葉を述べるフォーマル式典にはあまりお呼びじゃなかったようで、
「おっ、阿比熱可君(阿君)が卒業生トップのあいさつじゃん。さすが、寝業師」
「蘇連独楽君(蘇君)、メッセージしゃべるより前に踊らされてるよ」
「Yuktiさん、やっぱりもう眠たそうな目に戻ってるし…」
など、と酔いどれどもは最後尾でくだを巻いておりました。
で、ようやく雌伏の時間(式典)も終わり、「8時だよ、全員集合!」でいうなら、舞台交換のためのバックグラウンド音楽が流れ始めたところで、待ってましたとばかりに、リュックから取り出したるは夕方購入しておいたJNU印付き白Tシャツ(200ルピー≒550円)と油性マジック。
これをY二郎にいかに気づかれないように、最低でも一番仲良かった修士課程2年生たち、および日本語特訓クラスの生徒だった3年生連中、総勢約20人にメッセージを書いてもらうのか。
期末テスト全終了で心身ともにトップギアを通り越し、ハイ(灰?)になってしまったTakaちゃんはすでに寮に戻ってご隠居。いくらY二郎さんがY二郎さんであっても、彼以外一人しかいない日本人であるわたしがこそこそ動き回っていたら、さすがに「なにごとか?」と感づいてしまう。
ここは大いなるカケなんだけど、インド人学生に協力を頼むしかなし。
そうです、もうご想像に難くないでしょう、蘇君と阿君。
「OK牧場出場ランキングインド人部門」の上位2人である彼らにそれぞれ、Y二郎のお相手、学生連中からのメッセージ集めをお願いしたのでした。
日本や成都、デリーなどで数限りなくどっきりを演出してきたわたしなので言わせてもらいますと、
ターゲットを確保しておく目付役
どっきり的要素を準備する進行役
突発事象に臨機応変できる指示役
っていう「3本の矢」がそろって初めて、撮り直しなしの本番どっきりがうまく成功できるわけで、そのふたつをインド人に任せてしまったことにわたし自身がもう「どっきどっき」続き。
だいたいドッキリには超不慣れで、不自然さNo.1の蘇君。
まかされた大役に緊張したのか、いきなり
「Y二郎さん、向こうで食べましょう」
と、みんなが集まる場所から必要以上に離れた暗がりにターゲットを連れ込む始末。あまりに周りから浮いた行動だから、
「どうしたの?」
ってわたしが白々しくY二郎に尋ねて
「なんかボクに話がある見たいなんですよね」
「深刻な話?じゃあ、俺はいない方がいいのかな」
「すいません、ちょっと外してもらってていいですか」
ということで何とか軌道修正。
もちろん怪しい言動はさらに続くわけで、
「のどが渇いた(Y)」
と言えば有無を言わさず、「私が水をとってきます。ここにいて下さい!(蘇)」
「デザートのアイス取りに行こうか(Y)」
にもオウム返しで、「私がとってきます。ここにいて下さい!(蘇)」
とにかくターゲットをイスから立たせるのすらNGだと思ってるような雰囲気。そのくせ彼の気をそらせるような会話をするわけでもなし。深刻な相談事などいきなり作れないわけだし、テンパってると普通の会話すらぎこちなくなってしまう。
Y二郎さん、さすがに自分が軟禁されちゃってるみたいだってこと、気づいてしまったのでしょうか。
っていうかこれに何も感じないようだったら、ほんとうにあなた、ライオンの檻に毛皮をぬいで飛び込む子羊のようなもの。生き馬の目を抜く日本社会へのリハビリは大変ですよ(笑)。
本来は指示役のわたしがほぼ、目付役との兼任を強いられ、かなり心理的余裕がなくなり、少なくとも0次会であおった酒はほぼさめてしまってきた頃、阿君は日本語科一の寝業師ぶりをいかんなく披露。
短時間のうちにほぼすべての3年生に声をかけ、とどこおりなくメッセージの記入を進めてもらいました。もちろん、秘密厳守の原則を知らぬ各学生たちが、浮き足だってY二郎さんにTシャツのことを漏らさないような配慮もばっちり。
さらに
「プレゼントを渡すのはどこにしましょうか?女の子の方がいいですね」
などと、こっちが頼んでもなかったことまでアイデアを出してセッティングを進めてくれる始末。
こうした学生の仕事ぶりを見比べても、純朴なインド、抜け目のないインド、どちらもインドの一面なわけで、まともに向き合うことの難しさと楽しさを改めて実感した次第。そう、この前のBUNKASAI以来ですな。
さあて、舞台は整いました。
見届け人の学生たち。そして、シャッターチャンスを狙う三十路男。
「なぁ〜んか、怪しいと思ってたんだよなぁ。itoyamaさんうろちょろしてるし…」
と言いながら生け贄台に連れてこられるY二郎の姿。
ああ、さすがにあの状態には何か感づいてしまってたか。でもこのプレゼントまでは想像してなかったでしょう
ときれいどころからTシャツの贈呈。拍手喝采
「みんなに出会ったこの一年で、私の留学生活は大きく変わりました。本当に、ありがとう。ほんとうに…」
笑いがない、もうちょい気の利いたことを言えないのか、せめて駄ジャレの一つでも。チャンドラバーガーズの鉄の掟によれば許されないようなユルいご感想ですが、そこがまたYoちゃんらしく、まあ、ほのぼのしたいい光景でしたな。
4度目はさすがにないから安心してインド的余生をお過ごしください、たぶん、ね(笑)。
by itoyamamakoto
| 2007-05-04 20:17
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