2007年 05月 03日
ムスタンに行きてぇ〜 |
ネパールに第2のアジャンタ?
紀元前2世紀の仏教芸術発見
【THE TIMES OF INDIA=5月3日】 Kathmandu: 世界中がお釈迦さま生誕2551回目の記念日を祝った水曜日、彼の生まれた国ネパールではさらなる喜びに包まれた。チベットに接する最北端の地域の古代洞くつのから、アジャンタの壁画にそっくりな仏教壁画が見つかったのだ。
学者や登山家たちによって構成されたグループが先月行った探索の旅で目指したのは、これまでも歴史的な洞くつが豊富にあるとされてきた地域。苦難の末にたどり着いた場所は氷点下の気温によって保存され、手つかずの状態が数千年間も守られていた。
遠征はアウトドアメーカーのノースフェースなどの支援で行われ、一部で破壊の進んだ洞くつのなかからブッダの生涯を描いた55枚に及ぶ壁画が発見された。
美術保存家のLuigi Fiegiさんは、壁画はまさにアジャンタの石窟を呼び起こさせる、と説明する。かれは世界最初の仏教石窟芸術とされる紀元前1〜2世紀の作品群を引き合いに出した。Fieniさんは、かつてインドとチベットを結ぶ交易の中継地だったネパールの辺境山岳地帯に残るチベット王国ムスタン地方にテントを張り、調査を続けている。
彼によれば、すでにこの種の絵画の伝統はもうムスタンには残っていないという。
◆われわれは奇跡によって発見した
ネパールの洞くつで見つかった壁画には、シカやヒョウ、トラなどムスタン地方には生息しない動物も描かれており、作者はインド人か、またはインド絵画の手法や亜熱帯地方の生活に精通していた人物という説が浮かんでいる。
「洞くつはもう一つのナーランダだったに違いない」と話すのは、遠征に参加したアメリカ人のライターで登山家のBroughton Coburnさん。「洞くつの一番上の穴で仏教の講義が行われていたはずだ」。
見つかった壁画には、高僧に供物を捧げる男性や女性など、様々な人物が描かれている。近くの洞くつからはうずたかく積まれた古代チベット文字による経文なども見つかり、これらが解読されたならば、チベット仏教の成り立ちやチベット、ムスタン、ネパール、そしてインドにまつわる歴史についても多くの知識を与えると思われる。
「本当にこれは奇跡だった」とFieniさん。たまたま洞くつに行ったことのある羊飼いの男性に出会ったのが発見のきっかけだが、その男性も8歳の時、奇跡的にその洞くつを見つけたのだという。
その発見を記録するため少年は壁に自分の名前を彫ったものの、洞くつのことについては完全に忘れてしまっていたため、その後、おそらくは誰の目にさらされることもなくほぼ20年の月日が経過。
「目的の地域にたどり着き、我々が何を探しているのかについて村人たちに説明したところ、当時の少年、今は若者になった男性が洞くつのことを思い出したんです。かれがまた道を思い出してくれたのも奇跡です」とCoburnさんは振り返った。
古の王国ムスタンの末裔は現在も同地にくらしており、遠征隊およびその功績は皇族のJigme Bistaさんに祝福された。
「洞くつが人里離れた場所にあったのが幸いして略奪者に見つかることもなかった」とCoburnさん。今後はさらなる捜索を続けるとともに、見つかった資料の文書化、ネパール政府と保存と保護の進め方について協議を行う。
しかし経済的に貧しいネパールでは発掘済みの国家級のお宝を守る資金にも不足しており、その前途には困難が伴うことが予想される。
ネパールの寺院では有名なPashupatinath(パシュパティナート)で芸術性が高い像が盗まれるなど大量の盗難の被害にも悩まされ、そうしたお宝はブラックマーケットに送り込まれているという。
【評】
ひとりで興奮しております。
たった一枚の写真だけど、朝、これを見たときはもう、瞬間で目が覚めました。
そして記事を読み進めるにつれ、極寒の地に冷凍保存ってのがなんかシベリアの氷土に眠るマンモスみたいだし、さらには「第二のナーランダ」どころか「第二の敦煌」になるのではないか、という壮大なロマンさえも漂ってくるわけでして…
もうだいぶ古い出来事だけど、バーミヤン遺跡がタリバンのバカタレに破壊されたときと同じくらいの感情の高ぶり。もちろん今回は「陰陽」でいうなら思いっきり「Yo」な方向っす。
とにかく、今すぐにでもネパールに飛びたいって気持ち。
記事に出てくるムスタンってのは、ネパールの真ん中よりちょっと西側、それで中国チベット自治区と国境を接している地域にある昔ながらの小王国。ローマンタンってのがいちおう中心地で、ばりばりのチベット仏教エリア。
カリガンダキという川を北にさかのぼりながら、東西にはてしなく長いヒマラヤの稜線のなかでも比較的楽に峠越えができるポイントということで、記事のなかにあるように、インドとチベットを結ぶ重要な交易地として栄えた歴史もあり。
中国政府によるチベット侵攻が行われてからは、CIAの援助を受けたチベット人のゲリラ部隊が活動の本拠地を置いた場所でもあって、そういう意味じゃ、アメリカさんとは何かと縁ある地域なのです。
もちろんわれら日の丸部隊にとっても、「西蔵旅行記」で有名な河口慧海さんがこのムスタンを通って日本人初のチベット入りしたことで、マニアには有名なエリア。あとは某NHKの番組やらせ疑惑の舞台にもなったというところ(笑)。
標高は4000m前後でさらに一番近い空港からでも3日は歩くしかないんだけど、そんなことは何の障害にもならんのよ。
でも…
こちらのムスタン、ネパールの国策によってかなりの昔から金を積まないと入れないのさ。
「チベットと接する国境の微妙な地域」
という名目をたてに、入境にはめんどくさい事前の申請作業のほか、警察官の護衛(監視)が必要。さらに10年くらい前の情報でも700ドルくらいの金を積まないといけない。
そんなわけだから、節約旅行者だった20代の牧場主にとっては「夢にまで出てくるけど、絶対にいけない」地域だったわけ。
でも、こんな発見が明るみになっちゃった日には、早く行きたい。今だったらそれくらいの金だったら出せる。
「はい、よろこんで!(居酒屋店員風)」
ってな具合っすよ。
だって、実際にこれだけ鮮やかな壁画を「直目(じかめ)」で見るだけでもたぶん至福な瞬間なんだろうけど、それにもまして、この洞くつエリアの位置づけをさらに高めてるのが、近くから見つかったっていう経文などの古文書のたぐいなんだから。
チベットで文字が使われ始めたのはたぶん紀元後6〜700年くらいの時期だったはず。
壁画が描かれた紀元前よりも800年近く時代が新しくなるわけで、つまり当然チベット文字が創出された時代以降に書かれたはずの経文類がそんなに見つかったってことは、その間、ずっとこの洞くつエリアに坊さんたちが集まっていたという仮定が成り立ちます。
だとしたらこの周辺には他にも相当な仏教関係遺物が集まるブッディズム・コンプレックスの可能性もあるし、Coburnさんが「第二のナーランダ(玄奘、義浄も学んだ古代インドの仏教大学)」といったのもあながち過大評価というわけにもいかないってこと。
敦煌級の爆弾が破裂してほしいじゃないの。
とはいいつつも、たぶん金を積んで現地に行っても洞くつの詳しい場所なんて教えてもらえないでしょうな。
国自体がまだぐたぐたその枠組み作りに右往左往している現状じゃ、そんなすぐに新しい観光規則なんて作られるはずもないし、守られるはずもない。
だから今後のためを思えば、せめて現場の監視には十分な注意を払ってほしいもの。記事にもあるように盗掘者たちの魔の手にかかってしまうようなことなど言語道断。
中央から送り込まれたヒンドゥー教徒のネパール人たちが洞くつや壁画を守るのだとしたら、それこそ数十ドル、数百ドルの「はした金」で盗掘者たちに便宜を図っちゃうかもしれないじゃない。
現在は一時的に武器をおさめ、与党勢力に入り込もうとしている毛沢東主義派の元ゲリラさんたちにだってわたしは懐疑的。
貧困地域の住民などからは一定の支持を集めている彼らだけど、もし本当に「マオイスト」を実践するような奴らだったら、30〜40年前にヒマラヤの向こう側で起こった悲劇の再現が起こらないとも限らないわけで…
仏教のお宝は、信仰心熱い仏教徒に守ってもらうのが一番だと思うからぜひ、地元ムスタンの人々に監視をやらせてほしい。お金では動かない人たちに。
そのほか、ネパール政府に十分な資金がないってんだったら、世界遺産アジャンタ石窟の保存、復旧作業ではかなり名前売り出し中の日本勢力(国際協力銀行)もどうにか、その支援の輪に加わってほしいという高望みもあり。
…んだけど、まあ、いちど手にした「お宝」をはげたかアメリカさんたちがやすやす手放すはずもないしなぁ。ノースフェースのブランドロゴがいつの間にか仏さんのイラストに変わってたりして(笑)。
とにかく、無事に調査研究が進んで、チベット仏教およびヒマラヤ地域の成り立ちの歴史が明らかになれば、それで御の字。現地訪問にも代え難い幸せでしょう。
さて、こんな極上な知らせは何年にいちどあるかないか。今回のニュースを一面トップで報じたTIMES OF INDIA紙、かなりマニア心をくすぐるじゃない。テスト勉強で腐りきった頭にフレッシュな風を吹き込んでくれてそれだけで感謝感激、文句なしの★★★★★
by itoyamamakoto
| 2007-05-03 19:26
| これは面白ニュース!?