2007年 04月 01日
Amritsar2泊3日の3 |
はい、本日が旅の最終日。
どうみたって一日観光が関の山なここアムリトサルで実質2日目となる本日、いったいどこで何すりゃよろしいんでしょうか。
これが週末旅行じゃなかったら、団体旅行じゃなかったら、そろそろ日中気温が40度に迫りそうな昨今だし、北上してカシミールの山々に向かうか、国境越してパキスタンの「風の谷」あたりに落ち着きたいところ (ちょっぴり意味深)。
…でもね、
今回の旅の主導権はインド人学生たちにあるわけでして、それに3日後にはわたしの輝ける未来に立ちはだかるテストというモンスターともお手合わせしなきゃいけないわけでして、デリー行きの列車が出るまでの間、
「ジャリヤンワーラーバーグに行きますよ」
と、一回聞いただけではぜったいに復唱できないような場所に連れてってもらいました。
ゴールデンテンプルからはほんの徒歩5分。
わたしにとっては「アムリトサル大虐殺事件」という名称で記憶の片隅に残っていたところをまさに訪ねたわけです。
ことが起こったのは1919年4月13日。
インド独立運動指導者の解放を求める運動をきっかけにジャリヤンワーラーバーグ(広場)につめかけた住民たちに、ダイヤー准将ひきいるイギリス軍は機関銃などによる無差別発砲を実施、379人(千人以上という説も)の死者、2000人以上の負傷者を出したとされるインド人の反英感情、独立意識を決定づけたともいえる大虐殺事件。
現在のジャリヤンワーラーバーグは、市民も観光客も自由に敷地内を見学できるよう公園として整備されており、また事件を後世に伝えるために
・銃弾から逃れようと人々が続々と飛び込み、その後水死したとみられる120人分の遺体が見つかった井戸
・イギリス軍が無抵抗の市民に向かって発砲した場所
・当時の銃弾の跡がくっきりと残る壁
などがそのままの形で残され、さらに展示館内には
・事件の詳細な説明
・事件の様子を描いた絵画
・独立運動の指導者たちの肖像画
・事件を知ったノーベル賞詩人タゴールが彼のナイト爵位をイギリスに返上する旨の手紙
などがパネルで飾られてました。
わたし的にはこの種の展示館は定期的に訪ねて人間の負の一面を忘れないことこそが大切だと思っているところ。
「歴史の教訓」をどう消化するかということについても、年齢を重ねるにつれて自分の中に生じる微妙な変化も定期的に感じとれるわけだし、将来、忙しく動き回る日々がひょっとしてまた訪れたとしても(笑)、こうして立ち止まり、振り返ってみる機会は忘れたくはないもの。
同行したインド人の女の子たち4人の食いつき方をみても、熱心に展示を読み込む人、公園内のモニュメントを眺めて何か物思いにふける人、かなりあっさりしてそうな人など四種四様があって、そりゃ興味深いもんでしたよ。
さてこれにてアムリトサルの旅は終了。
思えば個人旅行が人生の一部になってこのかた、ガイドや通訳、同行者として他人と旅することはあっても、今回のような100%おまかせなんて、高校2年のスキー旅行時以来かも。
観光地で自分の好きなだけ時間をかけるなんてことは遠慮がちになったものの、ハプニングを楽しんだり、人間ウオッチングの方に主眼をおいたんで、これはこれで十分満足できる旅になったはず。
ちなみに2泊3日でおよそ3000ルピー(約8000円)の出費という、およそ最近の私的旅行と同じくらいの「ぜいたく度」に落ち着きました。
同行した博士課程生たちは学業の傍ら、学士課程生を指導している「給料取り」たちですから、たぶんこれくらいの出費はそう懐痛むもんでもないんでしょう。
帰りはAC3等の寝台車の超快適移動。たかだか約30分遅れの午後0時30分で駅を出発、オールドデリー駅には午後8時半すぎの到着。
帰りの車内でもまた、楽しいおしゃべりがあったみたいなんだけど、わたしとしたことが約6時間の爆睡。
何か大切なことがあったはずなのに、う〜ん、それを完全に忘れてしまうほどに疲れてたんでしょうかねぇ。
さらに地下鉄とオートリキシャを乗り継ぎ、Jawaharlal Nehru大学(JNU)に戻って屋外レストランにて遅い夜飯。
「あっ、もうすぐ、エープリルフール終わってしまうじゃないですか」
とTakaちゃん。
おっ、しまった。生け贄を捧げる儀式のこと、すっかり忘れてた。
でも、まあ、いいや。
これ以上純粋無垢な彼(すでにターゲットは既定路線)を人間不信にするのも大人げないかも。それに今のうちにネットカフェに行きたいし…
くらいの理由から
「まあ、あなたにお任せしますよ」
とかる〜く流しておいたのに、ほんとあの男は極悪人中の極悪人。
日付が4月2日に変わる約5分前、ネットも終わって部屋で旅の荷物をほどこうとしていたところに携帯メールが届き、
「12ji made ni modottekoresou desuka?」
「Ima heya」(返信)
「蘇君 no heya ni kite」
なになに、どうなってるの?
とりあえずは行ってみるか…
「コン、コン」(蘇君の部屋のドアをノックする音)
その後の経緯については…
すいません、Mixi利用者限定となりますが、ふたたびの被害者の供述(04月02日)でお楽しみください。
ついでに極悪人も半期に一度のブログ更新したみたい。
写真満載。あわせてご堪能を。
けっきょくはこんな展開になってしまうのね(笑)
by itoyamamakoto
| 2007-04-01 20:11
| またまた旅に出ました