2007年 01月 03日
天国への第一歩なんて |
こんなところ、誰が「天国」なんていったのか
はい、それはわたしです。
右の図の二重□をご覧ください →
チェンナイから東に向かって1000キロ以上。コルカタからだったら南に向かってやっぱり1000キロ以上。それがわたしのいるところ。
ここは海だろうって?
ほぼ正解。
ほぼ海だけど、ちょっとだけ陸地もあり。
ここがインドなのかって?
間違いなく正解。
一時期我が国の領土だったこともありますが、それは過去の歴史の副産物。
その名もアンダマン諸島。更に南に位置するニコバル諸島とあわせてインドの連邦直轄地(州制ではなく中央政府直による直接当地)になっているところ。総面積8248平方キロ、人口約36万人。
あの男の僻地好きもここに極まったな。
そう思ってくれて結構。
ただ、ここはもともとイギリス統治時代、流刑地だったとこなのね。
さらにインド独立運動が激しくなった19世紀後半からはフリーダムファイター(独立戦士)たちが多数飛ばされたところ。
20世紀に入るとイギリスさん、インド版維新の志士たちに対してかなり極悪いことをやったらしく、現在も牢獄は当時のままに残されているらしいとくれば、中国ならば間違いなく「紅色旅游(革命ゆかりの場所を訪ねる旅行)」の観光地として「力技」で脚光を浴びるようなところ。
さらに現状だって色々難しい側面を抱えていらっしゃる。
固有の島民は6部族。でも、本土からの移民が進んで現在では全島民にしめる割合は約12%。さらにこのうちの5部族は人口350人以下、最少のAndamaneseなどは39人しか残っていないという「種族滅亡の危機」にひんしている。
彼らは観光客の立ち入ることのできない「特別居住区」で生活を送っており、もうこうなっては島は基本的に「インド化」が進められております、という展開。
こういう話、まさにどこかの国のどこかの自治区でも聞いたような話。
ちなみにインド海軍にとってこのアンダマン諸島がどれくらい重要なものか、インド本土よりも東南アジア諸国への距離の方が圧倒的に近いことからも容易に想像できるのではないでしょうか。
さて、そんな結構神経質な場所なんで、外国人が島に入る際は飛行機だろうが船だろうが到着時に「immigration(入国手続き)」をとらなければならず。昔のように出発前に本土で取得が義務づけられてたときに比べれば、現在は申請用紙1枚記入すれば簡単に30日の滞在許可が下りるわけですが…
そんな場所に「天国」を求めていたわたくしが間違っておりました。浮かれすぎておりました。素直に反省すべき点は反省しますよ。
でもさ、
アンダマン海といえばタイを訪れるダイバー垂涎の土地。あっ、ちなみにこっからバンコクまでは直線距離で500キロ以下ね。
だから当然、青すぎる海とエメラルドグリーンな海は保証されてるべきで、さらにインド本土からこれだけ離れているからには、最近のわたしを悩ます「インド人旅行者汚染」の影響からも逃れられているに違いない。
ムンバイにて2日半後の筋肉痛にもだえながら飛行機チケットを購入して以来、ゴアでも、コーチンでも、カーニャクマリでも海水に身を浸らせることもなく
「オレにはアンダマンがある。こんな薄汚い海水で沐浴(満足)できるか」
そう一途に思い続けていたわけよ。
でも結局のところは10年越しの初恋を実らせ、想像妊娠しちゃうようなものでした。
チェンナイを朝の5時45分に出発する非常識フライト。
空港のある首都ポート・ブレアにはほぼ2時間後には到着。
市内中心部までは空港近くから路線バスを拾って約20分。はいっ、順調なのはここで終わり。
その後、本日の夜を確保するためにまわった宿は10軒以上。とにかく「満室」「満室」「フル」「フル」のオンパレード。ここまで宿にありつけなかったことはこれまでの旅人生で初めて。すべてはインド人観光客によって先物買いされていた結果。まさかユースのドミ(相部屋)でさえ差し押さえられてるとは思わなかったね、しかし。
「ダメもと」という言葉の意味をもう一度辞書で調べ直そうかと思い始めた午前11時、中心部からかなり歩いた高台にあるYMCAでシングルをゲット。これはもう奇跡。秀樹じゃないけど
すばらしい、Y・M・C・A♪
秀樹じゃないけど感激しました。
これで安心しちゃったのね。
ほぼ徹夜状態だったことも重なり、部屋でシャワーを浴びた後ベッドに横になると、次の瞬間、まぶたをあけるとなぜか午後4時前。
このアンダマンは首都デリーから1300キロくらいは東にあるというのに時計は同じ。つまり夜明けが早い変わりに日暮れも早い。ちょうど中国のウイグル自治区とは逆の状態。
「しもた。ほぼなんもせんで終わってもうた」
そう思いつつ部屋を飛び出し、急いで町中へ。目的は海パンと酒探しのみ。
明日からはさらに「天国」に近づく計画があるわけで、上記の両者はそのための「通行手形」のようなもの。
とにかく、切羽詰まったときの嗅覚はまだ衰えていないことに感謝。日暮れ頃までには「Empee's NAPOLEON」という名のインド製ブランデー(約130円)と日本じゃ到底はけないような木村和司系ピチピチ短パン(約260円)を購入。
ふう、これで最低限「偽りの天国」にはいつでもいけるようになりました。
その後、飛び込みで入ったレストランにて「Prawn Masala(エビカレー)」を食べました。約120円。入ってたのは車エビのような大物じゃなく、芝えびクラスだったけど、想像以上のエビカレー。
今朝の機内食以来の食事だから空腹調味料200%増というわけでもなし。
努めて冷静に判断するに、日本で売られている300円台クラスの高級レトルトパックカレーのお味。その手のタイプでシーフード系というのは見たことないんだけど、それを連想させるような味だと思う。
その評価が高いのか?低いのか?ということはおいといて、感じたのは、たぶん自称インド通たち(含:わたし)を発端に広められてきた「日本のカレーはインドにはない」という情報(流言)は、徐々に真実性を失ってきているのではないかということ。だいたい南インドには堂々と「ビーフカレー」を売りにするレストランもあったわけだし。
このエビカレーのお味もしかり。常に「手を替え、品を替え」が好きな日本人、カレーの守備範囲もどんどん広がっていっているんだと実感いたしました。
あっ、そうそう。
わたしが注文したメニュー、実は「Prawn Choumien(エビヤキソバ)」だったんです。
ただし運ばれてきたのがヌードルの「怒(ぬ)」の字もないエビカレーだったわけで、「これはどうみても『チョウメン』じゃないでしょ」とつめよるわたし。
「これは『チョウメン』だ」
と言い張る店員(英語は片言)。
メニュー表を指したり、面をすするジェスチャーをしてもコミュニケーションはまったく成り立たず。
そのうち目の前のカレーがうまそうでしかたなく映り始めたこともあって、これを食べることにしたんだけど、はたして会計時、伝票にはでかでかと「Prawn Masala(エビカレー)」の文字。
すぐさま先ほどの店員を手招き。
「これを読んでみて」
「Prawn Masala」
「あなたさっき何と言った?」
「……」
「あれを『Prawn Choumien』だと言ったでしょ?」
「Prawn Choumien ノー。Prawn Masala」
「いや、あんたはさっきあれを『Prawn Choumien』と言ったの。わたしが何回確認してもね。Prawn Choumienは(在庫)なかったの?」
「Prawn Choumien ノー(ない)」
「でもあんたは言ったんですよ。なぜでしょうねぇ?」
「…」
ひげを生やして貫禄あるように見せつつ、もしかしたらわたしよりも年下かもしれない店員A。さっきの自信満々さ加減とは対照的に、何ともやるせないような表情。言葉すら出なくなってしまうと、わたしの方が意地悪をしてるような気になってしまい、ついにこっちが根負け。
「でもおいしかったから、いいんだけどね」
と言っちゃいました。しかも笑顔で。
ああ、このときの店員Aの嬉しそうな顔といったら…
かれのオーダーミスによって店の収入は5ルピーアップ。まさか仕組まれたことじゃないと思うけど、どっからどこまでがマジボケで、どこをどう計算しているのか、いまだにその見極めは未知の領域のまま。
たぶんエビカレーのルックスとフェロモンになびいた時点でわたしの「負け」なんでしょうね(笑)
by itoyamamakoto
| 2007-01-03 23:00
| またまた旅に出ました