2006年 11月 22日
日印シンポ<決勝Goal |
「INDIA-JAPAN ROUND TABLE」
期末テストがだいぶ近づいているという噂の昨今、そのせいか授業がどんどんと終わってしまい、あまりにヒマなんで国際関係学部の東アジア学科が主宰する、こんなものに参加してしまいました。
こんなものとはどんなもの?
◎参考写真:インドと日本の将来について、二国間関係、アジアにおける関係、さらにもっとグローバルな視点から、国内外の識者を招いて延々二日間も語りつづける(もちろん昼間のみ)という、学問の巣窟にふさわしい超アカデミックなシンポジウム。
わたしにとって興味がある(ということにしている)分野だし、これだけ長けりゃとうぜん飯も出るだろう(食べ放題ビュッフェスタイル)、ということなどなど。
先日、この日記でも紹介した「ASIAN JUGGERNAUT」のBrahma Chellaneyさんをはじめ、それなりにインド世界においちゃ名の知れた日本学者も顔を揃えるらしいから、とにかく、そんなこんなの物見遊山でざいました。
合計5つくらいあったパネルディスカッション。当然全部を聞くほどに粘り強くはないんだけど、インド以外に韓国、フィリピン、シンガポールから外交官や学者先生が集まり、日本側の参加者がちと少ない(2人?)のが気にかかったものの、よくもまあ、これだけ日本のことを知ってらっしゃるな、と。
「アメリカの影響を排除しても中国と渡り歩いていけるのかという課題」(日本)
「日本では昔「3K」という言葉がはやったが、こちらでは「3Cs(corruption=腐敗、collusion=なれ合い、cronyism=縁故)」の問題が深刻だ」(インド)
「みんな金成日が嫌いだけど、急にばたんとは倒れてほしくないジレンマ」(東アジア各国)
と、大半の内容は左の耳から右の耳へさわやかに通り過ぎていきましたが、かろうじてこんなお話だけがわたしの心に響いたようでした。
ところで、もともと修士課程以上しかない国際関係学部で、さらに専門学科に分かれるのは2年間の修行を終えた博士課程前期(M.Phil)から。
そんなわけで会場の後ろのほうでノートを取ってたり、レセプションで応対に勤めてらっしゃる同学科の学生たちの平均年齢も25歳超ということでかなり高め。
さらに「東アジアに興味を持っている(はず)」というこっちの勝手な解釈も加われば、おのずと親近感もわいてこようというもの。
もちろん、向こうさんたちだっていきなり長髪の怪しげな日本人(らしき)がどかどか侵入してくれば気にならないはずがない。
とにかくそんな経緯がありまして、わたしとしては柄にもなく昨日から彼ら彼女らとはちょっとしたおしゃべりなんかをしておりました。
本日も朝、会場に入ったとたん、
「となりに座れ」
と手招き。
「彼はミゾラム、わたしはマニプール」
昨日知り合った時にそう紹介された2人のとなりに着席。
ところでこのカタカナは各々の名前というわけではなく、彼と彼女の出身州の名前。ともにミャンマーとの国境に接したインド東北部、外国人の自由な立ち入りが禁止されてる区域。
でも、一度入っちゃえれば、なかなかばれないかもしれない地域。
別にルール違反をすすめてるわけじゃない(地元民と間違われていきなり警官に暴力を受ける可能性もあり)わけで、では何がいいたいのかっていうと、「東北」の方々はモンゴロイド系で、見た目が日本人みたいだってこと。
インド人(アーリア系)の解釈では、この東北エリアから中国、日本にかけてはぜんぶひっくるめて「チンキー(中国ヤロウ)」というらしく、これは当然のごとくおなじみ某ヒンドゥーからの情報。
そんな「非差別お仲間」である東北人の見た目以外の特徴をあげるとすれば、クリスチャン、豚肉食肉OK牧場。
そして、そうそう…
「サッカー好き」
ギター師匠が東北人グループにまぎれてサッカー大会に出場、見事優勝をかっさらった話は前に紹介したけど、実は東北人のサッカー好きは野郎に限ったことではないらしく、今日だって、男(ミゾラム)のほうは、わたしが持ってた新聞のスポーツ欄だけ無条件に抜きとり、サッカー欄に目が釘付けだったんだけど、女の子(マニプール)のほうはさらに上手。
「そんなこと、とっくに知ってるわよ」
といわんばかりに、新聞情報には目もくれず。わたしに
「昨夜のマンチェスター・ユナイテッドとの試合みた?」
とご質問。
「えっ、何の試合だって?」
「セルティックスが勝った試合よ」
これでようやく気付くわたしもわたし。
「あっ、チャンピオンズリーグの試合か。へぇ、勝ったんだ。くわしいね」
「NAKAMURAのフリーキックが決勝点になったのよ、あの白熱した試合で。ほんとすごいシュートだったんだから」
(中村俊輔まで知ってるとは…)
とにかく、かなり上機嫌な彼女。さらには、
「私たちの選手(our player)が決勝点を入れたのよ」
だって。
博士課程にきてまで日本のことを勉強してもらってるだけでかなり親近感がわくものなんだけど、「私たちの」とまで言われると、聞いてるほうがなんか面映かったりする。
日ごろ付き合いの深い日本語科学生と異なり、わたしのヒンディー語レベルくらいの日本語しか知らない学生たち。でも、日本のこと、経済問題や政治体制、日印協力における課題などについては、語学習得が基本の日本語科学生では太刀打ちできないくらい、かなり突っ込んだとこにまで知識が及んでたりもする。
日本語修得者と日本研究者が同時に育たないあたりがインドの日本学習の限界にも思えるんだけど、まあ本日の場合その点はおいとくとして、シンポジウムのどんなコメントより、彼女の何気ない言葉が一番うれしかったりしてしまいましたね。
by itoyamamakoto
| 2006-11-22 11:15
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