2005年 06月 24日
拳と剣のお話最終章? |
いきなりですが、「武術家」として人生の岐路に立たされてしまいました。
そのわけは追々お話するとして、太極に迫ろうと毎週、太極拳、太極剣の授業に出席していることはみなさんご存じの通り。
それこそ中国語の授業よりも熱心なもんだから、一部の老師からはやっかみの声が出ているとか出ていないとか。
そんな武術の授業ですが、7月上旬の終業式を待たずに本日で授業は終了。ただ終了するだけでは芸がない、というわけで「修了式兼お披露目会」が開かれたのでした。。
その名も「武術課結業儀式」。
儀式……。
血を見るのか?
いくら何でもそこまでは…ないでしょう。
いやいや、厳かでよろしいじゃあありませんか。
こういう中国の仰々しいところ、嫌いじゃありません。
ところが、困ったことに開始時刻は午後2時半。
ぜんぜんわれら短期強化班、授業中じゃん。
何をおっしゃいますか。
授業と太極どっちが大事かなんて比べるまでもありません。
前言撤回。困ったことなんて何もありゃしない。
午前中、しかも授業中、堂々と老師に向かって挙手&発言。
「太極を極める物語は最終章を迎えています。授業なんて出ている隙はみじんもありません(一部誇張)」
なんて言っちゃったものだから、老師ちょっとふくれ面。
でも午後からの語言実践活動「お遊戯会の練習」不参加の免罪符をスマートにゲット。これはこれで面白い見せ物になりそうですから、また折を見て。
そんなわけで、午後2時半。
英雄物語の舞台となる運動場に参上。
おります。おります。
棒術やヌンチャク、散打の連中も含め約50人。
おっ。みんなカンフー服。
ってことはわたしも…?
おっ、老師こんにちは。
あっ、これを着ろと。
青ですか。ラッキーカラー、望むところです。
すべすべの生地は当然シルクではなく、てれてれのナイロン素材。
10個くらいボタンがあるから、着終わるまでは面倒だけど、一度着ちゃうと、自分でもなかなか様になってる気になります。
…ゴクン。
この得も言われぬ感情こそがコスプレにはまる人たちの理由なのか。
いやいやわたしは身も心も武術家。
当然まとうべき衣装をまとったまでのこと。
今日こそは「無我」の気持ちでいこうではありませんか。
そう、思い起こせばかれこれ2週間前。
へんしゅうちょう(→編集長)を廬溝橋に接待したあの日。
6日の日記に「さあて、どうなることやら」、と思わせぶった「早起き表演会」
夕方からもBe-Bloggerの設立総会があったし、何か忙しくなる予感がして、結果…どうにもなりませんでした。単なるさぼりです。
そう、だからこそ今日こそは、なんです。
太極拳は10人。
太極剣は5人。
それぞれわたしとともにこの4ヶ月汗を流した面々。
さあ、いいとこ見せてあげましょう。
儀式は始まりました。
でも式次第を聞かされ、唖然。
拳が1番、剣は2番。
これでは3時のおやつ(文明堂)前に、出番はすべて終わってしまう。
まさか、わたしたちって「前座」?
よし、皆の者。
この屈辱、怒りに変えてみせようぞ。
で、演舞スタート。まずは太極拳。
気の抜けた超スローモーな曲が流れるなか、5倍速くらいにすれば、「ドラゴン怒りの鉄拳」よろしく、仮想敵をばったばったと倒していくわたし。皆の者と若干動きが違うという指摘もありましたが、そこは主人公の特権でしょう。曲の終了とともにぴたりと動作を終えるあたりは、調整主義者の面目躍如でした。
で、はやくも結業儀式究極にして至高の見せ場がやって参りました。
6本の剣(読音「つるぎ」)が乱れ舞います。太極剣。
演じますは、「わたしと5人のみなのもの」でございます。
さあ、とくとご覧あれ。
(わたし的には瞬く間に終了)
見てた?
見てなかった?
見てなかったって言ってちょーだい。おねがいします。
だって剣をもつの久しぶりなんだもーん?
太極拳のスピードが遅すぎるから、どうしても引きずられちゃって…。
結果、音楽が終わる間に演舞をまとめきれず、その後も10秒ほど剣を振り回していた「みなものとわたし」
Fu、Hu、フ、ふ、不完全燃焼すぎーる!
こんなんで終わっていいのか?
かといって、この場でもう一度やり直すのも格好悪さの上塗りをするだけ。
この次またお披露目会があるのなら、そのときにリベンジを、という気にもなるのだが、わたしの北京は今学期で終了。入学許可証が届かない(しつこくアピール)けれど、行く気は満々のチベット大学に「太極」を学ぶ場があるとは思えない。さあ、どうしよう。
もしかすると、ラサのどこかには教えてくれるところがあるかもしれない。いや、あれだけ漢族が増えたんだ。町の西側には絶対あるに違いない。
日本で暮らしてきた30年間、凝り固まった脳みそとからだ。中国にきてからというもの、何とか柔らかく柔らかく、と気をつけてきたのだが、若干だれすぎとの見方もある「おつむ」の方はともかく、体の方はまだまだ理想とするところの20%位までしかほぐれていない。何よりこのまま「太極」と疎遠になるのはもったいなさすぎる。
あまたの「武術家」はこうした窮地を何度も乗り越えてきたのだろう。
冒頭にもふれた「岐路」を迎え、結論までにはしばし時間がかかりそうなわたしでした。
by itoyamamakoto
| 2005-06-24 02:01
| エンジョイ!学生生活