2005年 08月 14日
再会はなかったけれど |
午前0時からのことを話すと、ちょうど空中小姐(女性フライトアテンダント)による救命胴衣付け方のデモンストレーションが始まりました。あのやる気ないやつね。
北京行きの中国国際航空機は青島流亭国際空港を約1時間の遅れ
これじゃいったい到着は何時になるの、なんてもう考えるたくもないけど、現実はやはり現実で北京空港のターンテーブルでバックパックを受け取ったのが午前1時30分。
終飛行機までは走ってるエアポートバスのおかげで、タクシー代がセーブできてちょっぴりうれしい北京市内。予約なしで飛び込んだ北京駅前60元ユースのベッドに潜り込んだのは同2時30分を過ぎたころだったのでした。もうほんの3時間で夜明けだよ。
夢うつつな、多分3時か4時の頃。
「しあとー、しあとー。あ・うぉ・ぼーぬぃ・にあとー」
ほんとこれだけ。
まだ人生経験未熟なわたしですから、白人ねーチャンの寝言はこれが初めてです。隣の部屋まで聞こえそうなボリュームでしたが、中学1年の頃に聞いていたラジオの基礎英話みたいに見事な発音でした。
8人住まいの大部屋。しかも他人を起こさないよう真っ暗の部屋に入って真っ暗のまま横になったんで、ほかの7人の素性はまったく分かりません。寝言の彼女は多分シアトル出身の人なんでしょう。いったいどんな夢を見てたんでしょう。
続けて多分4時か5時の頃、また美しい発音の寝言が部屋中に響き渡ったのですが、もう1回目ほどのインパクトはなく、そのときは一応覚えておこう覚えておこうと思ってたんだけど、眠りとともに脳みそからdeleteされちゃいました。
こんな疲れたときでも起床は7時前。ほんと年寄りに近づいてるな、と思いつつもまずは汚れきった体をシャワー。北京駅周辺でバス停探しをかねた散歩。朝飯は北京駅だったらこれしかない、と吉野家(本物)。初めて食ったけれど、ここ泡菜(キムチ)は絶品。牛丼を食べるときに口の中を満たすあの牛肉とたれとご飯の絶妙なバランスは確かに崩れてしてしまうものの、それでも受け入れざるをえないほど人騒がせな美味しいキムチでした。
北京駅前はだいたいこんなところでしょう
駅前ユース、場所は良いけど宿代高い。北京で外国人宿最安値の地位を十数年はキープしている伝説の「京華飯店」に移動です。ちなみに京華は半額30元(約400円)です。
これで一日を終わっても十分有意義だったと老後に思えるのがわれわれ(どこに仲間がいるの?)「一日1イベント」主義者なんですが、今は非常事態。北京にきちゃうと旅行というより生活モードに戻っちゃうようで、ちょっくら中国国家博物館までおでかけ。
わたしの尊敬するおかまチャン「鄭和」の記念展やっていたのは7月のある一時期。そんな穏やかなものは影も形も消え失せて今は抗日の夏中国の夏。保守本流バリバリの「侵華日軍南京大虐殺史実展」(入場無料、30日まで)でございます。
基本的に展示品は江蘇省にある南京大虐殺紀念館の資料を持ち運んだもの。
本来ならば中華民国の首都だった南京が陥落した12月13日にあわせて展示をするのが常道では、と思ったりもしますが、今年の12月13日はすでに発生から68年を数えちゃうわけで、数字にこだわる人たちにとってはイベント的な価値はそこまで。
「日本軍最大の蛮行」をということからも、抗日勝利60周年にあわせて、中国一のおのぼりさん密集地帯(天安門広場前)に面したこの博物館で記念展を行う方が愛国主義教育的効果はいかほどか、という賢明な選択でしょうね。
展示は、第一部分の「南京滄陥(陥落)」から「歴史的啓迪(啓発)」までの全7部構成。
南京については主に前半の4部分で紹介。
実はわたしは大学5年目の1996年4月、世界ぶらぶら旅に出かけたのですが、まず訪れたのがこの南京の虐殺記念館だったわけで、そのときの記憶に残ってるようなものから新聞などで繰り返し使われるようなものまで、たくさんの資料が並んでました。
この南京での記念館参観では心に焼き付いて忘れられない一枚の写真と出会いました。
慰安所をのぞき込む日本兵の後ろ姿の写真だったのですが、つま先立ちまでして中をのぞき込もうとする兵隊さんのそのつま先の伸び具合とかかかとの立ち具合といったものが、直接戦争の悲惨さとかと関係あるかどうか分かりませんが、なぜかもの凄くいやぁな思いとして心に刻まれたのでした。
実は今回の展示を訪れた理由として、この写真をまた見れるかな、ということもあったのですが残念にも再会は果たせず。
社会に出て何をしていいのか分からずにぶらぶらしていた当時と、世の中の仕組みを少しだけ分かるようになって、でもぶらぶらすることがある種の生き方になってしまった10年後の今とでは多分違った受け止め方ができるだろうに。そういう興味もあったんですがね。
結局、いちばんがつんとキたのは「歴史的審判」(第五部)内のあるコーナー。極東軍事裁判について大々的に紹介してたんですが、あろうことか、東条英機を初めとするA級戦犯14人の写真を「床」に並べてました。
こんな大胆な展示方法は、なかなか現代美術に通じるところがあります。足を伸ばせばすぐ届くところにあるいい大人たちの写真。まさか来館者の誰かが踏みつけるというハプニングを期待してのことではないんでしょうが…。
時期が時期と言うこともあって来館者は絶えず黒山の人だかり。
メモを取る学生風情、孫に当時のはなしを聞かせるおじいちゃん、革命烈士の写真の前であれこれ討論している軍事マニアさんたち。色んな人がいましたが、入場前に知り合いの日本人にあったきり外国人らしきは…、どこかに何人かはいたんでしょうかね。
出口には壁一面がメッセージボード。
いろいろと聞いたような見たような文言が並ぶなか、
「不要譲這様可悲的歴史発生!」
(こんな悲しいことが二度と起こりませんように)
色んな理屈をこねるより、この原則を守る方がどれほど分かり易いか。でも、どれだけ難しいか。書いたのは字体からみて若い人なんでしょうが、これからもずっとこういう考えを持ち続けてほしいな、自分もそうしなきゃな、と素直になれるメッセージでした。
by itoyamamakoto
| 2005-08-14 22:06
| ちょっと思ったこと。