2005年 10月 07日
北京観光目玉といえば |
誰がなんと言おうと擁和宮。
1694年に建てられた北京最大の藏伝仏教(チベット仏教)寺院。
おなじ宮でも「○宮」だと思った人、漢(おとこ)なら一度は「○城」だと思った人、まあ許してあげなくもありませんが、「擁和宮目玉説」に文句、苦情、批判、その他一切付け入る隙など与えません。
ここはあくまでチベット☆OK牧場。
例えチベットとあまり相性がよくなくても、わたしの肩入れはまだ続きます。
でせっかく黄金週間中でもありますし、観光客としてしか体験できない何かを求めてでかけて参りました。かつてこの町には半年住んでましたが、やはりここも初めてでございます。いかにこの間勉強に集中していたかが分かります。
さて、この擁和宮。
清朝2代皇帝康煕帝の時代に建てられ、その同3代皇帝雍正帝のお屋敷として使われていたものが、1725年には正式な御所とになり、さらに乾隆帝の1744年にチベット仏教寺院に変更されたもの。
康煕、雍正、乾隆。この文章を読んだだけで、清朝最盛期の皇帝の名前が覚えられますね。うんアカデミック。
清朝皇帝の保護の下で隆盛を極めた他のチベット仏教寺院(承徳、五台山)の例に漏れることなく漢(漢族)、満(満州族)、蒙(蒙古族)の影響を色濃く受けた建築様式で、説明書きなどもこの4民族の文字を併記。
で、分かりやすく言うと本来のチベタン「どろどろ」感がなくなり、ポリフェノール摂取しまくってかなり「さらさら血液」になったようなチベット仏教です。
◎参考写真1:だから気軽な参拝者が多く集まってきます。こんな具合に
ところで北京の「チベット仏教寺院」と言えば、わたし的には一万体の仏像を収めた「大覚宝殿」に魅入られ、かなり高ポイントな白塔寺(参考:http://itoyama.seesaa.net/article/4619756.html)も有名。
ただ、元々皇帝のお屋敷だったと言うこともあり、当時北京を訪れたダライラマやパンチェンラマが座ったとされる御座も残ってたりして、格式ではもちろん雍和宮の方が上回りますが、格よりも歴史を楽しむのがわたしの信条ですから、どっちかというと白塔寺派ですね。
大都(北京)が文字通り世界の中心だったモンゴルの時代、しかもネパール人から招聘された当代超一流の建築家が建てた巨大な塔があるというだけで、深みを感じます。想像力をかき立てられます。
雍和宮の方にも目玉として、高さ26メートル、一本の白檀から作った仏像としては世界最大(ギネス認定)の弥勒菩薩像もあります。さらに白塔寺と同じように宝物(≒仏像)殿があり、数こそ1万体に遠く及びませんが、芸術性ではなかなかお美しい仏さんがあったりして、うっとり見とれてしまっても知りませんからね。
入場料はどっちもどっち20元ちょっとなので、お時間の許す方は両方、そうでなけりゃお好きな方をお選びください。
最後にもう一つ。
わたしのチベット名前は「ケサル・ドルジェ」(しつこい?)。実はケサルもドルジェも人や佛の名前をパクったものなんですが、そのドルジェ(金剛)の方がとある祠にてある有名人と一緒に祀られてました。わたし的にもかなり誇らしい気分になれたので最後に紹介します。
◎参考写真2:でん。武聖「関羽」とセットでどうだ!
うん。雍和宮もなかなかいいところだ。
by itoyamamakoto
| 2005-10-07 20:42
| まちかど歩けば新発見