2006年 10月 02日
連休ガーンディー締め |
本日はインド独立の父「マハートマー・ガーンディー」さんの137回目のお誕生日。
お父さんの誕生日ならば誰だって祝って当然でしょう
ということで本日は月曜ながら休日。
土曜日から数えれば大盤振る舞いの3連休。
けどこの3連休には裏があって、残念ながら今年はヒンドゥー教のお祭り「Dussehra」(通常なら祝日)とも重なっちゃってるらしく、寸でのタイミングで爆裂4連休にはいたらず。振替休日というブラボーなシステムがないらしいのがインド、それがちとつらいところ。
中国のみなさんはさらに長期な国慶節1週間休みを謳歌しておるのでしょうが、少なくとも日本の連中どもよりは楽させてもらえるわけです(わたしの場合年がら年中楽のし通しですが…)。
とにかくそんなありがたい3連休をいただいたからには、ドゥルガー神に頭を垂れるヒンドゥー教徒はさておき、ガーンディー・ジーに感謝の気持ちを表さねば。
連休最終日の本日、「ガーンディー観光 首都の三所(みところ)攻め」を執行、ツーリング気分でデリー市内をかっ飛ばしたのでした。
まずは「ラージ・ガート」(無料)
市中心部からちと北より、ムガール皇帝の居城だったラール・キラーの近く。1948年に極右主義者の銃弾に倒れたガーンディーの遺体が荼毘にふされた場所で、現在はモニュメントが建てられ、周囲もきれいに公園化されております。
タイミングさえあえば大統領たちも参拝する記念式典があったらしいんだけど、わたしの来場はだいぶ早かったみたい。インドの国旗をあしらった白とオレンジと緑の花が会場の至る所に飾られたりして、かなり神聖な雰囲気を醸し出しておりました。
さらに片隅の方では、ガーンディーを顕彰する歌や音楽の演奏、彼が「Quit India(英国製品排斥)運動」の一環として提唱した糸車で綿から糸を紡ぎだす作業を体験するコーナーもあったりなど。
「あ〜もう、うまくできないっ」
とキレて糸車に軽くけりを入れる忍耐力のないお子さまなんかもいて、微笑ましい光景でした。
続いて交差点を挟んだ対角線上にある「ガンディー記念博物館」(無料)
ガンディーの生い立ちを写真やゆかりの品々とともに紹介しながら、彼の思想、インド独立に果たした役割などについて来館者に考えてもらおうという展示。
わたし的に心をうたれたのは実際に彼が全国行脚のときに使った竹(らしい)の杖、と暗殺されたときに彼に撃ち込まれた銃弾、血のりのついた白い衣。
◎参考写真:杖は中央下、銃弾は中央上。写真撮影はたぶん大丈夫だったはず
彼はインド史上まれに見る政治家、哲学者だったとともに、希代のパフォーマーだったことを実感。そのスタンスを最後まで貫き通したわけだから、静かに飾られた展示品から伝わってくる説得力も並大抵じゃございませんでした。
最後は「ガーンディー・スミルティー博物館」
日本大使館などがあるチャナキャプリの近く。1948年1月30日、夕方のお祈りのために建物を出たガーンディーが凶弾に倒れた場所。
独立を果たしたインドが真に現代インドへの道を歩み始めた瞬間こそガーンディー暗殺のとき、独立運動の象徴だったガーンディーがいなくなってからの時代こそが現代インドととらえてそう的外れじゃないと思うんだけど、そんな歴史の現場にたつのはマニアにはたまらぬ快感。
月曜日のために休館。
おいおい、きょうは何の日だったっけ?
あんたんとこのご主人さまの誕生日だって容赦なく定休日は守るんですね
とはいいつつ、建物の周りには異様なほど警察の方々。「BOMB DETECTION TEAM(爆弾捜査班)」なんて記されたおっかないトラックなんかも停められてて、
入場できないのはなんか別の理由があんじゃないの
と勘ぐりたくなるような物々しさ。
こういうところには長居は無用でございました。
「やばい。このままじゃ三所攻め免許皆伝に至らずではないか」
そう思いながら市内地図とにらめっこしてると、近くに「Salt March(塩の行進)」のモニュメントがあることを発見。
イギリスの専売事業だった塩を自分たちで作って英国統治(税収面など)に打撃を与えよう、とアピールするために全国を回るガーンディーと支持者たちをかたどった銅像。
急場しのぎながらなかなかたいそうな作品(横幅約15m)を拝んで、崩れ三所攻めを完成させたのでした。
さて。
今回のガーンディー詣でを思い立ったのは結局のところ「連休があまりに暇だった(笑)」というわけなんだけど、それに加えて、最近周りで彼の名前を聞く機会がとくに多いような気がしたってこともある。
実はこのところインドでは若者を中心にガーンディーブームが起きておりまして、それは「Lage Raho Munna Bhai (Carry on Munna Bhai)」という大ヒット・ボリウッド映画の影響。
ちょっぴり三のセンをふまえたハンサム主人公が、幻として現れたガーンディーの教えを守りながら悪役ばったばった、マドンナとの恋バナもありつつ、ストーリーの大きな柱としてはインド人が忘れてしまった「ガーンティー哲学」とでも訳すればいいのか「Gandhigiri」について観客に問いかける…
映画大国のインドであるからこそ、この作品のヒットによって新聞紙上でも毎日、
Gandhigiriは現在でも通用する概念かという読者アンケートとか
ブックフェアがあるとガーンディー関係の本が飛ぶように売れているとか
デリー大学で映画の監督や主演女優を招いたガーンディー講座が開かれるとか
とにかく「Gandhigiri現象」という言葉を見ない日はないくらいの取り上げられ方。
だから実際にその現象が本当の社会現象なのか、それとも単にマスコミが時流を逃さずに1を10に、もしくは100にあおっているだけの虚像なのかは疑問符。それを確かめるにはガーンディジーの誕生日にゆかりの地を歩くことほど分かりやすい方法はないでしょう、というのが「三所攻め(しつこい)」のもうひとつの理由ね。
普通にJNUの学生たちと話している限りじゃ、わたしのイメージするガーンディーの「非暴力主義」なんてとっくの昔に忘れちゃったような好戦的な台詞をよく耳にするものですから。特にパキスタンとの関係については、だけど。
で、実際のところどうだったかって言うと、先生たちに引率された小学生か、「ガーンディージーを見たことある」みたいなおじいちゃんおばあちゃん連中、もしくは観光外国人が大半で、映画で初めてガーンディーの思想に触れたというようなナウでヤングな姿は皆無。
そして博物館に至っては閑古鳥状態。
わたしの方だって当てが外れたとか、ちょっぴり残念とか、そんなことを感じることはなく、ああそんなもんか、という程度。
彼の思想や哲学をどう現代社会に適合させるのか、受け入れるかが大切なんだ、記念日にゆかりの地を尋ねるような、ガーンディーという個人を崇拝することとは全く関係ない。
そんな口の立つインド人若者たちの主張が聞こえてきそうだけど…
番外編:
この日は新聞広告にもガーンディー・ジー多数登場。デリー市社会保健局と酒類製造販売禁止部長の名前ではこんなものが…
Drinking is a crime to yourself.
Stop it.
日ごろは酒屋からの上納金(合法)でたんまりも受け取るくせに何たる口ぶり。誰がまもるかって話ですわ(←不服従)
by itoyamamakoto
| 2006-10-02 19:45
| まちかど歩けば新発見