2006年 08月 21日
後輩をインド酒で囲む |
どうやらちまたではやり始めたらしい日本人のインドもうで。
昨日はスレンドラ君に
「この前は議員さんが200人くらいきましたよ」
といって見せられたのが、なつかしの福岡市議(平成会の有名先生)の名刺。
先生、こんどは何を企んでらっしゃるのですか?
と思わなくもなかったんだけど、とにかくそんなブームにあやかったのでしょう。
本日はわたしも8年前に卒業した大学の学生たちがJNUを訪問。
文学系の「うらなり学生」だったわたしとは大違い、彼ら彼女らは国際開発をテーマにした経済系ゼミのグループ生で総勢20数人。
指導教授の思惑にのせられるまま、かなりマイナー地域を中心にすでに10日程度インドを回って見聞を広められたらしく、帰国は明日だけど、最後のメーンディッシュとしてスレンドラ君たちが在籍する日本語科を訪ねることになったのだそう。
ゼミメンバーによる研究発表やインド人学生とのデスカッションなんかを通じて日印交流に金字塔を打ち立てたらしいんだけど、残念ながらそれは午前中の出来事。
己の授業をさぼってまでそっちに顔を出す余裕は今のわたしにはまだなし。
だからしかたなく、ホントどうしようもなく仕方なく「夜の交流会」のほうにだけ参加。
場所はわれらがCHANDRABHAGA HOSTELの二つとなりの寮の前にある屋外レストラン。
タンドリーチキンもあれば、チャパティ以外にもちゃんとロティが味わえるくらいの「寮めし以上レストラン未満な料理」が手軽に味わえるということで、スレンドラ君おすすめポイント。
で、レッツ・パーリィ・ナイっ!
Yo&Takaの2人がビールを約20本調達。わたしもペプシやミリンダ、コカ・コーラにマンゴージュースなどをおろしたてのバイクでピストン輸送。
いきなり初対面で現れたチベ系年齢不詳日本人にも臆することなくインド最後の夜のカレーを満喫されてる現代の学生。
若人たちのおしゃべりを盗み聞いた限りでは、ゼミ生の三分の一がアメリカやフランス、中国に留学経験のあるというからまた驚き。ほんと時代は変わったものやね。
実は本日の「パーリィ・ナイっ。」は帰国後間もなく北京大学の国際関係学部に一年間留学するという女の子のサプライズ送別会も兼ねているとかで、
さらに盛り上がっていきましょうっ!
ところがどうやら、「学生注目っ!」的なあからさまな酒宴はやっぱまずかったみたい。
◎参考写真:店員たちが集まりだし、レストランを丁寧に追い出されてしまいました
すでに日付変更線だったりするんだけど、しぶとくも彼ら彼女らがとまってる大学内のゲストハウス、例のインド初酒宴が開かれたとこに舞台を移して仕切り直しの2次会。
学生一人一人が彼女を前にお別れの言葉を伝える感動のシーン、お涙ちょうだいモードに若干の部外者的居心地の悪さを感じながらも、その先の冷蔵庫で待っているギンギンのビ−ルを思えば立ち去れるはずもなし。
それに北京経験者として彼女にあの町の、とくに五道口付近に出没する要注意人物でも教えルノこそが我が務めと思って我慢してました。
ところがお涙ちょうだいされちゃった女子連中を中心に引き際の素早さはまるで干潮を迎える有明海のよう。
確かにもう2時近いこともあったからしょうがない。
そしていつの間にか、わたしのまわりに残ったのは初対面なんだけど『いつもの連中』と呼んでもよさそうな奴らばかり。
先輩が社会の厳しさについて説教たれることも、後輩たちが日本の将来について夢を語ることもなく、ただただ馬鹿話に花を咲かせ、
「カンパイってどんな字書きます?」
なんてつい最近まで中国人から言われてた「攻めの質問」を受けてみたり(笑)。
基本、ほどよく酒癖の悪い憎めない連中だと思うんだけど、彼らの作ってくれたラム・コークはその同系統な色のせいで、口をつけるまで何対何で割ったか分からないのが難点。
どこでどう間違って教わったのか、原汁がコーラより濃いのがインドスタイルなんだと勘違いしてるみたいで、そんな危険な飲み物を「どうぞ」とすすめてくれました、どんどんと。
そのくせ自分たちは超控えめにコンビニで売ってそうなアルコール度数のラム・コークだったりするのもまた不思議。
しょうがないから冷蔵庫でギンギンに冷えたキングフィッシャー(ビール)をチェイサーになまぬるいラム・コークをちびりちびり。
「久しぶりに、でも間違いなく墓場コースだね」
ときわめて冷静に現状認識をしている酔っぱらいなわたし。
宴は3時すぎまで続き、われわれJNU留学生も含めた総勢25人がたらふく食って飲んて約1800ルピー(約4500円)。一人あたま180円。
その倍払うから明日の二日酔いだけは勘弁してくれませんか
なんて無理な話だろうなぁ…
by itoyamamakoto
| 2006-08-21 18:41
| いろんな交流してます