2006年 07月 14日
大柵欄ゴーストタウン |
本日は実質北京最後の日。
昨日北京入りした塾長、xiaochuanとともに最後の中国を楽しく過ごそうという私的計画だったのに、どこに行っても引く手あまたの彼ら。すでに「深からぬ縁」「後には戻れない関係」になってしまったわたしを尻目に
「Mixiで知り合った女の子に会いに天津に行く」
と午前10時の携帯電話で知らされまして、
「牧場主はもう今日しか2年間の中国生活の思い出に浸る時間はないというのに我々が邪魔しちゃ悪い」
という言葉にはしないけど深く温かい彼らの思いやり、しみじみ感じました(笑)。
で、急きょひとりぼっち。
しょうがなく、宿で知り合った日本人青年とともに近くをお散歩をすることに…
わたしの泊まってるエリアっていわゆる北京の下町「大柵欄(da4zha4lan)」。
故宮の真南にあって前門より南に広がる庶民街で、日本でいうならベタだけど浅草みたい。
中国最大の観光地「天安門広場」を間近に控えるだけに各地からのお上りさんたちも多くがこちらに参集するという観光スポットであり安旅館集まるスポットでもある。
メーン道路沿いには北京ダック屋や漬物屋さん、薬屋、靴屋など清朝期まで遡るような老舗「老子号」、そしてその背後には迷路のように入り組んだ現地の人たちの住まい「胡同」がおびただしく。
わたしも北京留学時代の「文化講座」やクラス飲み会などで何度か訪れるうち、「庶民の北京」を感じてしまったようで、例えメシ食うのが五道口(市北西)であろうと、三里屯(市東部)であろうと、北京に来ればこちらに宿をとんなきゃ落ち着かない。
そんな大柵欄(da4zha4lan)エリアなんだけど、昨年10月以降大変な変化が。
実はひどい再開発に晒されてて、ええ、そりゃぁ相当なもんです。
だいたい北京到着の夜。
なじみの宿「Leo Hostel」にリュックを起き、先発隊KATO氏と落ち合い、
「さあ、メシでも」
「おれ、いいとこ知ってるんっすよ。ウイグル屋でいいっすか」
「いいですねぇ。行きましょう」
で、夜中9時をすぎてもまだまだ賑やかな大柵欄街を楽しみながら、前門から南に延びる前門大街へ。そして通りを横切り、新鮮口街に入ると…
はい、ゴーストタウン。
まるで中国東北の国境地帯で間違って(笑)川を渡ってしまい、北朝鮮に入国してしまったかのよう。
向こう岸のにぎわいがウソなくらい、こちら側は建物あれど光はゼロ。人の気配もゼロ。とうぜん「お気に入りの店」も建物と看板だけは当時のままに
まるで
数時間前に空襲警報が鳴りました。みなさん避難中。まだ解除されてないから注意してねっ
くらいの雰囲気。
「すいません。人がいなくなってます」
そんな当たり前の報告するしかないわたし。
前門大街よりも東側に入ってすぐのこのゴーストタウンエリアは崇文区に入るわけで、厳密にいうなら大柵欄地区ではないわけだけど、そういや新聞の社会面なんかでむかし
「大柵欄は北京でも最貧困エリア」
なんて見出しの調査記事を読んだことを思いだし、
「北京オリンピック始まる前にこの辺全部さら地にして『衛生・安全ニセ伝統庶民エリア』を作るつもりなんだろうね。中国各地に『ミニ麗江』『ミニ大理』が発生してるのと同じ理屈だね」
と互いにどこまで知ってるのか分かんないけど、そんな知ったかぶりの言葉を交わしたもの。
◎参考写真1:昼間だったら人は一応通ってるけど裏びれた寂しさはいとかなし
で、本日も同じエリアを歩きながら日本人青年にそんな状況判断だけの解説をしてあげる優しいわたし。
「そのうち大柵欄の方もこうなっちゃうんですかねぇ」
「あっちはもうメーン通りは整備されてるし、こっちのように全面廃虚にゃしないでしょ。壊すのは老百姓(市民)の住居だけ。大通り沿いの店はかなり儲けてるところもあるわけだから彼らも長期的な営業停止にゃ黙ってないはずよ」
「なんか一番残されといてほしいとこが壊されるわけっすね。なんかさみしいかも…」
◎参考写真2:誰が作ったか、芸術的オブジェ。遠くを見つめる眼が印象的
そんなこと話しながら、在りし日の人々の生活の断片を心のフィルムに焼き付けようと躍起になってゴーストタウンを歩き続けた北京最終日…
だったら少しはさまにもなったんだけど、そんな「きちゃない」エリアは20分程度。高層商業ビルに吸い込まれ、本日唯一の目的地「吉野家」を満喫したわたしなのでした。
by itoyamamakoto
| 2006-07-14 11:04
| まちかど歩けば新発見