2006年 06月 24日
一番長い日は二度続く |
これで最後?チベ日記37
???—テント—門士
放射冷却現象で零度近くまで温度が下がったテントの中。
「ああ、今日も晴天なんだなぁ」
と思って寝袋の中でごごそごそ。もうライトもいらないくらいにテント内も明るくなったし、とりあえず目覚めのいっぱいでも、と携帯ストーブでお湯を沸かし、コーヒーを一杯。う〜ん、すばらしい。
で、
今日こそは救われるといいんだけど…
と優雅な気持ちになった難民生活2日目のスタート。
実は昨晩9時ごろ、われらのいる谷間の野営地そばを久しぶりに巡礼バスがとおり、それに乗ってツァンダに戻っていったドライバー・パサン。
彼がツァンダにてうまいこと動き回っていたとすれば、朗報は午前中にも届くはず。
そう思いながら、昨日のまずい飯を再び温めなおし、「生きるため」に胃袋に放り込んでいると、久しぶりにツァンダ方面からランドクルーザーの登場。さらにわれわれの近くにとまると、その車のドライバー、
「パサンはもうすぐくるから。これでは彼からの差し入れだから。食べながら待ってな」
と包子と油条、泡菜の差し入れ。うれしいじゃないの。で、よく働くじゃないの。
まあ「すぐくる」ってのは信頼度50%くらいにしても、まあ、希望は見えたってこと。どうやらテントはたたんでもよさそうやね。
そしてほんとうに30分たったかたたないか。
一台のランドクルーザーに乗って登場したパサン。同じ運転会社の同僚が別のツアーのドライバーとしてツァンダの町にいたため、彼に協力を求めたという仕組み。別のツアーの目的地もわれわれと同じで、彼がそういう方法をとるであろうこと、じつはわたしも昨日のうちから知ってたりして…。
だからこそ「もう一泊テント箔ができる」と気楽なもんだったんだけど(笑)。
そんなわけで始まったランドクルーザーによるランドクルーザーによる牽引作業。
目的地は標高5100mの峠を越えた先、約45キロ地点にある門士の町。
そこまで行けば何とか代替部品が手に入るだろうのが大方の予想。
なんとか、後ろ髪を引かれながらも、野営地を出発。
でも、定員6人ぎっしりのランクルが定員6人ぎっしりの自力走行不能なランクルを引っ張るのって、そりゃあ大変。時速だと5キロ、うん歩いてるのとおんなじくらい?
こんなんじゃ何時間かかるかわかったもんじゃないね、まったく。
と思えど、とにかく状況が打開されたことに喜びを感じるわれわれ5人組み。
一方で、
おいおい、どうなってしまうんだ。こんなんじゃ今日の目的地、約150キロ先のマナサロワール湖にはいつ到着するんだ。面倒なもんしょいこんじゃったなぁ
と思ってるかもしれないのが、引っ張ってる側のランクルに乗ったツアー客5人組(日本人3人、フィンランド人、ブラジル人)。
最初は、暖かい目をわれわれ難民に向けてくれていたものの、どうやらそこまで運転手と意思の疎通ができてないらしく、当然状況の把握もいまいち。
勾配がひどいときには車をおろされ、坂道を延々と歩かされることが2度続き、自分たちの車からもなんだかエンジンあたりに不穏なにおいがたちこめはじめ、
まさかこのペースでのこれからの40数キロが進むのか
という疑念が確信に変わってしまったとき、やってきましたリーダー格の日本人男性。
「このままじゃ共倒れになっちゃうと思うんですよね。だから…」
そうでしょう。おっしゃる意味はわかります。
リーダーとしてのその発言。すべては他のメンバーのことを思ってのつらい発言。
そのつらい立場、わたしも痛いほどわかります。
どうぞ、われわれをあたりに水もない坂道の途中に見捨てて旅行を楽しんでください
とはいくらカイラス巡礼を終えて寛容になったわたしであろうと、決して口にしてはいけない言葉だってことくらいは合点しょうちのすけ。
単に困った顔のふりをして、こっち側のドライバーに訳してあげると
「なんだ。おまえら日本人同士だろ。日本人はそんなに白状なのか」
とアンビリーバボーな様子。
そうなのよ、われわれ日本人は所詮コンクリートジャングルのなかでうごめく生きもの。発展の末に失った代価ってのは、あなたたちチベット人が想像もできないほど大きなものだったのよ
と人生論、近代資本主義論を語り始めるはずもなく、
とりあえあずは最大の峠を越えた先にある数キロ先のテントまで牽引を続けさせてもらう
ってことで大人の妥結。
すでに時間は午後2時を過ぎたころ。
われわれ5人を遊牧民が再度ビジネスで営業するテント型喫茶店「大草原の小さな家(通称)」に残し、またしても別ツアーグループ車の荷台に乗り込んだドライバー・パサン。新たな5人+一台の救援策を求め、門士方面に消えていったのでした。
あ〜ぁ、パサンにいつ帰ってくるか聞いときゃよかったよ
テントの天井を見ながら思ったこと数十回。
でも、聞いてもそのとおりに帰ってくるとも限らんし…
テントの天井にあいた穴から青空を眺めること数十回。
夜飯はカップラーメンを食うことになるんだろうか
テント天井近くのつぎはぎ部分が右と左で微妙にずれていることに気になりながら思うこと数十回。
今度成都に帰って火鍋を食べたときはまたおなかを壊すんだろうか
頻繁に出入りする娘さんとガキを見ながら、遊牧民の変わり行く食生活について考えること数十回。
めくるめくどうどう巡りりの思考から抜けきれず、中と外を行ったり来たりしてる他のメンバーとは対象的にテント内でのひきこもり生活を続けるわたし。
暗くなったらどこに寝るんだろう。多分今座ってるソファーには彼らが寝るだろうし…
とあたらしい思考段階に入ったのは、さすがにあたりも暗くなり始めた午後9時すぎ。
テントのそばにとまったランクルの中に入り、はるかかなたを眺めていると、満を辞して砂塵を巻き上げ一台の「東風トラック」の登場。
もちろんドライバー・パサンの差し金で、これは片足の折れたバレリーナ「テンジーナ」を救うためのトラック。
さらにわれわれに対しての救援策としては、たまたまこの阿里地区にいた同じ会社の別のランドクルーザーが手配できたってことで、約20分後に現れたニュードライバーと共に一足先に門士に向けて出発することができたという、黄金手配ぶり。
◎参考写真:強気なこと書いてても「助かったはぁ」って気持ちもそれなりに…
いやぁ、この車の快適なこと快適なこと
どんな坂道であろうとスピードを落とすことなく突き進む。
どんな凸凹道であろうと、わたしのお尻には何も響かない。そんな深夜のドライブは約2時間。日付変更線も過ぎて午前1時近くの到着となったわれわれ。
疲れ果てて、そのままベッドで死んだように眠ったわけもなく、町の夜ふかし連中が集まる食堂にて、とうぜん、中華とラサビールで祝杯をあげたのでした。
by itoyamamakoto
| 2006-06-24 11:15
| またまた旅に出ました