2006年 02月 12日
当世チベット難民事情 |
#節操なしの旅日記23
Dharamsala
をつぶさに見てやろうといっても、今回のような駆け足の旅では所詮無理な話。
それならば、
せっかくこれまでわたしが暮らしてた世界からすると「あちら側の本拠地」に来ちゃったわけだから、チベット本土を訪れた観光客がそこかしこで「解放後の発展」についてのPRを目にするように、ここダラムサラを訪れた外国人たちは一般的に何を見て帰っていくのだろう、
をちょっと観察してみようか、と。
といいつつ、やっぱ一番目立つのは
ここにもいますよ。インド人(笑)
だったりする。
それはさておき、
本当に英語の流暢なチベタン多数
ゲームボーイアドバンス(本物)をしているチベタン子供
お茶といえばバター茶ではなくミルクティー(助かった?)
それで付け合わせに最適。なぜかおいしいケーキ類。
男性は基本洋装、ジーンズ多し。チュパ、ダシェーなど民族服は老人以外一人も見かけず。女性はまだパンデン(縞模様エプロン)を付けてる人比較的多し。
雲の低い水色の空(本土は濃紺の高い空)
新しいお寺が多いため、聖なる場所のはずなのにあのくすんでおどろおどろしい雰囲気はなく、なんか明るく開放的?
◎参考写真:ながらもクンドゥンお膝元の千手観音はなかなかだったりする。
結局のところ、
ヤク肉、ヤクバターの香りがしない
と言いきれるのかも。
チベット人はいるけど、やはりチベットでなし。
あのレンイエンが最も好む雲南省の独龍族自治県やラオスミャンマーの国境あたりにモザイク的に生息してそうな「民族(性)の臭っさいやつ」がいる雰囲気はまったくゼロ。
民族とははぐくんだ風土と共にあってこそ活きのよさを発揮できるんだ
とあらためて実感。
四川の奥の方のチベタン、あいつらほんっと「くさかった」もんなぁ(笑)
亡命してからでなきゃ得られないものが、いろんな「自由」であったり「教育」だったりするなら、亡命してしまうと得られなくなるものもまたあって、広大なチベットの風景だったり、本来の自分たちの生活様式、そこから生まれる文化だったりするはず。
時がたち、世代が変わるにつれて知らず知らずのうちに「見た目の民族らしさだけが受け継がれ、大切にしていた何かを忘れてしまう」なんてことが起こりえるんじゃないか。
現地のチベット人とひざを交えて話しこんだり、亡命政府系のえらいさんの話を聞いたりしたわけじゃなく、単にダラムサラを2日間歩き回った上での感想。
政治問題の解決には一定の時間が必要だってことはよくあるんだけど、少なくとも庶民のレベルにあっては時が経つことで失われるものがどんどん増えていくばかり、という事だけは間違いないみたいで…
宿代(Green Hotel) 70Rs
Dharamsala-Delhiバス代 400Rs
by itoyamamakoto
| 2006-02-12 12:34
| またまた旅に出ました